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明治神宮球場の写真はKakidai様に帰属しています。 明治神宮野球場(めいじじんぐうやきゅうじょう)は、東京都新宿区の明治神宮外苑に所在する野球場。, 所有者は宗教法人明治神宮であり、「神宮球場(じんぐうきゅうじょう)」または「神宮」の通称で知られている。ここではメイン球場のほか、隣接する神宮第2球場(兼明治神宮外苑ゴルフ練習場西練習場)についても触れる。, 1926年(大正15年)に開場以来、アマチュア野球においては大学野球の主要球場として長年使用され、六大学野球のほか東都大学野球1部リーグおよび入替戦を中心に今日まで使用されている。, 他にも高校野球の東東京大会および西東京大会、秋季大会(いずれも準決勝以降)、や全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会の他、社会人野球(JABA東京スポニチ大会。過去には都市対抗野球大会、現在も東京都二次予選が)、日本リトルシニア全日本選手権など多くのアマチュアの大会が開催されている。日本国内では阪神甲子園球場とならんで「野球の聖地」とうたわれる野球場でもある。, アマチュア専用として初期はプロ野球公式戦での使用は認められなかったが、徐々に緩和され現在では東京ヤクルトスワローズが専用球場(本拠地球場)として使用している。, なお、本来の表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない『明治神宫野球場』であるが(正面玄関上の球場名の文字看板はこの表記)、一般には常用漢字の「宮」が使用されている(球場公式サイトも同様)。, 後述されるように周囲には国立競技場、秩父宮ラグビー場や併設の第二球場(使用は終了)もあっていずれも各競技でトップレベルの大会が行われる特徴的な立地となっている。, 神宮球場が完成したのは1926年(大正15年)である。明治神宮外苑に明治神宮外苑競技場(1958年に国立霞ヶ丘陸上競技場に改築され、現在は国立競技場が建設されている。)などのスポーツ施設が建造されるなか建設された。当時の金額で総工費は53万円、うち明治神宮奉賛会が48万円を出費し、東京六大学野球連盟が5万円を本工事に寄付。敷地造成工事に着手したのは1925年(大正14年)12月で、翌年1月に起工式、10月23日に竣功式が行われ、摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)と閑院宮載仁親王が臨席し、初試合として東京対横浜の中等学校代表および東京六大学選抜紅白試合が行われた。東京六大学はこの年の秋季よりリーグ戦の一部の試合で使用し、1927年(昭和2年)からはこの球場を会場として都市対抗野球大会も始められた。, なお、建設されるはるか前、江戸時代は江戸幕府に使えた甲賀者の「百人組」が住んでいた居住地「青山甲賀町」だった。与力、同心の屋敷、鉄砲射撃場などがあったとされ、射撃場のあった場所がちょうど外野ライト前に当たる。忍者頭高峰家の屋敷があった場所が、現在の球団クラブハウスに当たる[2]。, 早慶戦などで収容能力に不足が見られたため、1931年(昭和6年)には東京六大学野球連盟が工費55万円を負担して内野・外野スタンドを増築、球場正面を除いて外形が現在の形となった。収容人員は29,000人[3] から58,000人(松内則三の実況アナウンスでは「6万の観衆、内野外野のスタンドに詰めかけまして」という表現が見られる)[4] に増えている。東京六大学はこの年からリーグ戦の全試合を神宮球場で開催するようになり、1932年(昭和7年)には東都大学野球連盟のリーグ戦も開催され始めた。, 建設の経緯、および明治神宮が管理運営するというスタイルから、戦前は「アマチュア野球の聖地」とされ、プロ野球の使用は論外という雰囲気があった。読売新聞社長の正力松太郎は「将来プロにする」ということを伏せて全日本チーム(後に読売ジャイアンツとなる)を組織し、1934年(昭和9年)に米国メジャーリーグの招待試合を神宮球場で開催した。正力は翌年2月に右翼に切りつけられる事件に見舞われたが、犯人が取り調べで述べた動機には「読売がアメリカの野球チームを招き神聖な神宮球場を使ったこと」が、天皇機関説支持とともに挙げられており、当時の風潮がうかがえる。, 日中戦争勃発後の1938年(昭和13年)には都市対抗野球大会が完成直後の後楽園球場に会場を移し、さらに1943年(昭和18年)には太平洋戦争の激化により文部省からの通達で、東京六大学と東都は共に解散となってしまった。1945年(昭和20年)5月には、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって被災し、火災によって一部が崩れ落ちた。, 日本の敗戦後には、日本占領軍であるアメリカ軍により接収され、連合国軍専用球場として 「Stateside Park(ステイトサイド・パーク)」の名称で使用された。, それでも終戦年である1945年(昭和20年)には日本人の使用にも開放され、東京六大学OB紅白試合、オール早慶戦、職業野球東西対抗戦などが行われた。このうち、東西対抗戦はプロ野球発足後に当球場で初めて開催されたプロの試合である。1946年(昭和21年)からは東京六大学と東都が復活、春季は神宮球場での試合は認められなかったが秋季から一部の試合で開放されている。帝国主義者を養成してきた東京大学に球場を使用させないというのも接収が1952年まで続いた理由の1つであった[要出典]。, 1946年(昭和21年)5月から6月にかけ連合国軍により修復工事が行われ、照明設備が新たに設置され内野にも天然芝が敷かれている。この時期には球場初のプロ野球公式戦、全日本大学野球選手権大会の前身である大学野球王座決定戦、第1回目のプロ野球日本選手権シリーズ第1戦(当時の呼称は「日本ワールドシリーズ」)などが開催されている。東京六大学は上井草球場などと併用してリーグ戦を行っていたが、1950年(昭和25年)秋季より全試合での開催を認められている。ただし連合国軍による接収が解除されて明治神宮に返還されたのは、サンフランシスコ条約の発効間近である1952年(昭和27年)3月のことである。, 連合国軍による接収解除後は内野天然芝と照明が撤去され、バックネット裏前列に1953年(昭和28年)から放送が開始されたテレビ放送席が新設されている。1962年には相撲場跡地に第2球場が完成した。, 1962年(昭和37年)からは閉鎖される駒澤野球場の代わりとして東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が使用を開始し、次いで1964年(昭和39年)に後楽園球場から国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)が、東映と入れ替わるように移転している。これらの動きには学生野球界は強く反対したものの、結局は認められた(詳細は後述)。, 東映の使用開始時の1962年にはバックネット裏の増築、ナイター設備新設、ラッキーゾーンの設置といったプロ基準に合わせる改修を施した。さらに1967年(昭和42年)にはホームベースを動かすなど当時の標準的な球場に近づける大改修が行われた。その後幾たびも改修が重ねられ、個別座席・人工芝グラウンド・照明塔・電光スコアボードなどが取り入れられている。, 収益を優先する観点から、1981年に一度は廃止されたフェンス広告をのちに再開した。またコンサートなど大型イベントの開催も行うなどの動きもある。, 収益の高いプロ野球を人気の低下が見られる学生野球より優先しようとする意見もあるが、優先度の変化のみで学生野球優先の方針は維持されたまま現在に至っている(詳細は後述)。2007年(平成19年)11月24日からは大規模な改修工事を実施し、2008年(平成20年)3月6日に竣工式が行われた。スコアボードの全面フルカラーフリーボード化やフィールドの拡張、ロングパイル人工芝への張替えなどを行った。総工費は約15億円。, 2011年(平成23年)シーズンからボールカウントの表示方式を、日本国内で旧来使用されていた「SBO」(上からストライク、ボール、アウト)順から、国際ルールに則した「BSO」順に変更した。当球場のカウント表示はコンピューターグラフィックスを使用しているため(後述)表示部分 (ハードウェア)の改修は必要なく、ソフトウェアの更新などで対応した。同年には内野席に、2013年には外野席にウッドデッキ調の特別席が設置された。, 2013年オフからは3年計画でスタンドの老朽箇所の改修と、耐震補強工事を実施する[5]。施工業者は安藤ハザマ。工事は継続的に野球の試合に利用できるようにするため、シーズンオフ(年度下半期)のみに限定し、2016年3月の完全竣工時に耐震改修促進法に基づく耐震認定の検定を受ける。第1期(2013年度)は内野正面スタンド部(屋根を除く)、第2期(2014年度)は1・3塁側内野スタンドと正面スタンドの屋根、第3期(2015年度)は外野席の改修を行う。また外壁の改修は耐震補強工事に従って順次行う。正面スタンドは一部が耐震補強壁となることから歴史性を忍ばせ、耐久性に優れたレンガ素材を使用した壁面を使用する。正面スタンドの大屋根は鉄製からテフロン製テント膜に変更される。, また正面スタンドの大屋根は現在の鉄骨骨組を補強した際は、2階席から視界が遮られてしまうので、鉄骨の骨組みを盛替えて改修する。屋根の軽量化を図るためにこれまで使用していた鉄板からテフロン膜を使用することで、最小限の構造部材でくみ上げられるような形状とする。, 現球場は築90年を超え、老朽化や耐震補強が課題となっており、上記の通り2013年から3年計画による工事を実施(上述以外では2015年に人工芝の張替を施工)しているが、2013年ごろから、東京都が2021年から神宮外苑の再開発を行う構想を打ち出している[6] と、複数の報道機関が報じた。この報道がなされた2013年現在はまだ地権者との話し合いが行われている段階だった。, 2015年4月1日、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催後に、明治神宮外苑をスポーツの聖地とするための再開発を進める一環として、近接の秩父宮ラグビー場(区境を跨ぎ港区にある)との土地交換で新球場を建設する計画を明らかにした。, 計画案としては、まず東京大会前までに現ラグビー場を撤去・解体し、開催期間中は暫定的に駐車場として利用する。大会終了後、正式に新球場の建設工事に取り掛かり、完成後に現在の神宮球場を撤去・解体する。また現在の神宮球場の跡地に新ラグビー場を建設する方針である[7]。, また第二球場についても、再開発をするにあたり解体する予定で、工事中も野球・ラグビーなどが滞りなく、可能な限り開催できるようにすべく、新たな球技場の建設を予定している[8]。, その後、2017年7月に当初の計画案から順番を入れ替えた形で秩父宮ラグビー場、神宮球場の順に建て替える方向で調整が進められていることが明らかになった[9]。, そして、2019年2月25日に神宮球場を所有する明治神宮、秩父宮ラグビー場を所有する日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事、三井不動産の4者で神宮球場と秩父宮ラグビー場の場所を入れ替えて再整備する神宮外苑地区の再開発の基本協定が締結された。2020年東京大会の翌2021年に神宮第二球場を解体し、2022年以降に新たなラグビー場の建設を開始する。新たなラグビー場の工事が一旦完了する2024年以降に現在の秩父宮ラグビー場を解体し、その跡地に新たな野球場を建設する。新たな野球場が完成する2027年以降に現在の神宮球場を取り壊してラグビー場の観客席を増設、神宮外苑地区の再開発完了は当初の計画では2030年の予定であった。しかし計画の見直しにより、新たなラグビー場の工期を2023年〜2026年に変更、新たな野球場は2027年に工事を開始し2031年ごろに完成する予定となり、再開発全体の完了時期は5年ほど遅れて2035年に変更されることになった。, 1961年(昭和36年)、東映フライヤーズ(現: 北海道日本ハムファイターズ)の本拠だった駒澤野球場が、東京オリンピック(1964年)の開催に伴い東京都から用地返還を求められたため、閉鎖されることになった。東映は次の本拠を探す中で、明治神宮側へ神宮球場の隣に建設中だった第2球場の使用を申し出た。一度は断られたものの原因を作った都に仲介を持ちかけ、結局は学生野球の試合が開催される場合それを優先すること、6月から9月にナイターで試合を行うことなどを条件に、1962年から神宮球場の方を使用することが認められた。あくまでも仮の処置であり、後楽園球場や東京スタジアム(1962年6月完成)と併用する形で、主催試合数の半数近くが神宮で開催され事実上の専用球場とされた。球場別試合数では神宮が多かったものの、これは半数以上の試合開催を求める現在の日本プロフェッショナル野球協約では認められない試合数である(1962年:神宮32試合、後楽園24試合、東京3試合、その他6試合、1963年:神宮31試合、後楽園26試合、東京18試合)。, その年、パ・リーグ優勝を果たした東映は日本シリーズ・阪神タイガース戦の主催3試合中第3、4戦の2試合を開催。第5戦は学生野球優先の取り決めもあり後楽園球場で開催された。また1963年(昭和38年)には東京オリンピックの協賛チャリティーというサブタイトルでオールスターゲームを初開催した。, 1964年(昭和39年)から国鉄スワローズが神宮球場を正式に専用球場としたため、その年の東映は日程の余裕が出る後楽園球場で主に試合を開催し(後楽園46試合、神宮25試合、その他3試合)、翌1965年(昭和40年)より正式に後楽園球場を専用球場として結果的に入れ替わることになった。ただし試合数を段階的に減らしながらも1980年(昭和55年)まで準本拠地として使用している。, 1963年(昭和38年)のシーズンには、後楽園球場を専用球場としていた国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)も地方開催扱いで数試合開催した。, シーズン終了後、国鉄球団は第2球場を専用球場にしたい意向を明らかにし、産経新聞社・フジテレビジョンが主体となって30,000人収容の球場とする具体的な改装計画まで明らかにしたものの、日本学生野球協会は反対の意向を表明。更に学生野球が将来神宮球場から追い出され、第2球場に追いやられるのではという噂まで流布し、国会の文教委員会でも問題となり、更には右翼団体までもが介入し今村均元陸軍大将までもが神宮プロ野球進出反対運動に担ぎ出されたという。結局、第2球場はアマチュア専用にしたいという管理者の意向や、プロ側が要求する球場設備を満たすための拡張用地の確保が既に無理なこともあり、第2球場の使用は却下され改修工事は第1期工事で中断となった。代わりに、国鉄の専用球場として1964年(昭和39年)のシーズンより神宮球場の通年使用が認められた。, これは、国鉄を実質的に経営していたフジテレビに対して後楽園球場のテレビ中継権が与えられていなかったこと(主催球団を問わず日本テレビが独占していたが、1962年には駒沢球場廃止との兼ね合いから、東映主催試合に限りNETテレビの中継が認められた)と、それに付随してフジテレビが国鉄戦テレビ中継を強化したかったこと等も絡んでいる[14]。プロ使用への反対はすぐになくなったわけではなく、1965年2月の衆議院体育振興特別委員会では自民党の川崎秀二議員が「外苑の経済的維持が困難なら、国立野球場にしてもよいのではないか。またプロ球団に貸さなくても外に財源の道はあるのではないか」と質問したり、予算委員会で愛知揆一文部大臣が「プロ野球の根拠地となることは歓迎できない」と発言するなど、保守系の議員から国会で反対する意見が出されていた[15]。, 国鉄はプロ野球球団で初めて神宮球場を専用球場にしたものの、球場側には東映と同様に学生野球を優先することを求められた。そのため神宮でのデーゲームは例年、学生野球の行われない時期(4月上旬・6月下旬・8月中・9月上旬)に限定される(8月については2012年までは暑さのため自発的に行わなかったが、2013年以後、17時開始の薄暮という形でデーゲームを組む試合が数回ある。2015年には7月にも17時開始の薄暮デーゲームがある)。2004年(平成16年)まで毎年5月下旬に行われていた千葉マリンスタジアムでの公式戦は、同時期に神宮で行われる早慶戦の開催を考慮したものである。一般的にプロ野球では試合前の練習を球場のグラウンドで行うが、神宮球場では日中に学生野球の試合が行われる際に外野側場外にある軟式野球場や屋内練習場を使って行われる。2008年(平成20年)までは試合開始時間をずらすことも行われた(詳細は後述)。, 1978年(昭和53年)にはヤクルトスワローズ(1974年に改称)が初めてリーグ優勝したものの、東京六大学が優先され日本シリーズ(対阪急戦)は後楽園球場で振り替え開催された。その後東京六大学、東都大学両野球連盟との調整により、1992年と翌1993年の日本シリーズ(いずれもヤクルト-西武戦)では、ヤクルトのホームゲームが初めて神宮球場で開催された(デーゲーム。これに伴い大学野球はナイトゲーム開催)。以降、日本シリーズのヤクルト主管試合は全て神宮での開催となっている。1992年には、日本シリーズの表彰式終了直後に六大学野球の試合が行われたため、普段よりはるかに多い観客が六大学の試合を観戦したというエピソードが残っている。1995年(平成7年)以降は日本シリーズがナイター開催となったため、シーズン中同様に大学野球はデーゲームで開催されている。このほかにも1970年代初め頃まで大学野球との日程の絡みで、消化試合を神宮で行えず川崎球場や東京スタジアム、横浜公園平和野球場(現・横浜スタジアム)を借りて行った事例もある。, 神宮球場はヤクルトの本拠地ではあるが昔はビジターチームのファンが多かった。レフトスタンドは大抵の試合でビジターチームのファンで埋まり、特に阪神タイガースが終盤まで優勝争いを演じている年はライトスタンドですらビジター側のファンが大半を占めることも珍しくなかった。古田敦也が監督就任時に「東京」ヤクルトスワローズへの改称やユニフォームの一新など、「神宮をヤクルトファンで満員にしよう」の合言葉のもと進めた「F-PROJECT」発足の理由の1つとして、この状況が挙げられる。その甲斐もあり、近年ではレフト側にヤクルト応援席ができる試合も登場するなど、ヤクルトファンがスタンドを埋めることも少なくはない。, 1972年(昭和47年)オフの東京スタジアムの閉鎖に伴い本拠地を失ったロッテオリオンズは、金田正一監督在任時代の1973年(昭和48年)から川崎球場に移転する前年の1977年(昭和52年)まで主催公式戦の一部を神宮球場で開催した。, 1973年当時、ロッテは都内での試合数確保の観点から、年20試合程度を当球場で開催する意向だった。ところが、ヤクルト球団、東京六大学野球連盟・東都大学野球連盟との日程調整で折衝するも折り合いがつかず、年6試合(その後10試合に増加)の開催にとどまざるを得なかった[16](その後、1974年4試合に一度減るも、1975年6試合、1976年8試合と微増。1977年はジプシー期間中で最大の12試合を行った)。, 1973年のパ・リーグ(前期)でロッテは南海と熾烈な優勝争いを展開。優勝がかかった6月の対日拓ホーム3連戦では1試合あたり6万人ものファンが詰めかけロッテ優勝の瞬間を見届けようとしたが、ロッテは惜しくも前期優勝を逃している(この頃のロッテについてはジプシー・ロッテを参照)。, 横浜DeNAベイスターズは、本拠地の横浜スタジアムが2021年に延期となった2020年東京オリンピックの野球種目の会場となっており、開催期間中とその前後は横浜スタジアムが使用できないことから、2021年6月29日・30日の対中日戦及び7月2日~4日の対巨人戦は、前身球団時代も含めて初となる神宮球場での開催を予定している。, 神宮球場が他の球場と決定的に違うのは、学生野球(東京六大学と東都)に優先使用権が認められていることである。これは神宮球場の建設と拡張に東京六大学連盟の尽力や資金提供があったという事実からである。また、所有者の明治神宮がアマチュア野球を優先してきたという歴史的な経緯もある。しばしば他の一般的なプロ野球の本拠地球場になっている球場と同じように「神宮球場はスワローズの本拠地で大学野球は間借りしている」と誤解されることがあるが、スワローズ側が間借りしているのが正しい(ただし他の球団の本拠地球場も球団所有ではなく間借りであるものが少なくない)[注 3]。, 収益力の高いプロの日程を最優先させるべきだとの意見は以前から一部にはあり、時代の経過とともに大学野球全体の人気の低下がその声を後押しする傾向が強まり、近年は興行収入の問題から大学連盟側がヤクルト球団側に譲歩するようになってきている面もある。ただし、神宮球場側の基本的な認識は、前述の歴史的な経緯から、現在でも球場使用の割り当ての最優先権を東京六大学野球連盟に与えている。, 明治神宮とヤクルト球団は、神宮球場の使用契約を1年ごとに更新している。このことが、度々取り沙汰されるヤクルトの他地域への移転の根拠として挙げられている。, 学生野球の使用割り当てを優先的にするのは、あくまで基本的には春先に行われるその年度の球場使用割り当てを決定する場合においてである。一年を通して、春先に決定した内容が年間を通して遵守される。後日に順延等の都合で調整が必要な場合は、基本的に未使用で空いている日時をやりくりして調整を行うことになる。, この手の誤解を招く元になっている代表例として、東京六大学(以下、六大学)と東都の関係を紹介する。, 大学野球のリーグ戦期間中は、基本的に六大学が土曜日 - 水曜日、東都が木曜日・金曜日の割り当てとなっている。実際には東都が火・水の日程で組まれているが、これは「六大学のリーグ戦期間中で六大学が使わない日は東都側が使用しても構わない」という六大学と東都間の従来からの協定に従ってのものである。そのため六大学が順延などで月曜までにその週の対戦(前週の未消化試合がある場合はそれも含む)が決着しない場合は、翌日以降も六大学の開催日に変更される。東都の開催日はそれに従い順延され、最悪木・金のみに変更されることもある。この順延の制度のためいつでも六大学が自由に使えるという誤解が一部に生じている。事前の球場使用割り当て時では六大学のリーグ戦の日程および六大学連盟からのその他の使用申し出に従った割り当てを優先的に行う(従来から行われている使用申請がほぼ認められる)が、リーグ戦期間外では優先権はない。そのためリーグ戦後に行う新人戦と、リーグ戦が消化しきれなかった場合では六大学が優先的に割り込めるわけではない。東都側についても同様で、リーグ戦期間外でも東都が木・金曜日を自由に使えるわけではない。シーズン固有の事情などにより事前に何らかの使用権が成立している場合は例外となる。球場の年間使用スケジュールの概況は各年の「神宮球場ガイドブック」春季号に掲載されていた(廃刊)。, プロ野球(ナイター開催)と大学野球(日中開催)の併用日には、大学野球の試合開始時間を通常より30分ないし1時間早めたり(東京六大学と東都では別の処置となる)、延長なしの9回打ち切りとなる。2009年(平成21年)からは併用日でもプロ野球の試合開始時間が18時となっているが、それまでは遅らせて試合を開催していた。1989年(平成元年)までは一律18時30分、延長戦が15回までに変更されたことをきっかけに1990年(平成2年)から2008年(平成20年)まで18時20分開始となっていた(併用日以外は一部年度を除いて18時)。大学野球が長引いた場合は試合開始時間を遅らせる処置が取られている。このように学生野球のスケジュールが優先されてきたが、1985年(昭和60年)10月16日に阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルト対阪神戦の試合当日は、日中に予定されていた東都大学リーグの試合が延期される事態となった。これは前日から阪神ファンが球場前に多数詰め掛けたため、学生野球の試合を開催した場合の混乱を避けるべくなされた措置で、当球場始まって以来の異例のものであった。, ヤクルトではオープン戦期間中と、公式戦でも主として学生野球の試合が組まれない4月初旬、ないしは9月初旬にデーゲームを組むことがある。1990年以降、神宮でのデーゲームは1991年(平成3年)と2001年(平成13年)の4月に各2試合開催したのみだったが、近年は大学野球側との折衝交渉を積極的に行うようになり開催数が若干増加している。2005年(平成17年)は6月4日、5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦、6月18日の西武ライオンズ戦(交流戦予備日)と7月2日、3日の中日ドラゴンズ戦をデーゲームで開催した。更に2006年(平成18年)、「F-PROJECT」の一環としてデーゲーム開催数の増加について大学野球側と折衝を行った結果、前年に引き続き6月3日、4日に加えて、従来の東都大学野球連盟のリーグ戦使用分であった5月3日、4日もデーゲーム開催(東都大学リーグ戦はナイター開催)に変更した。, 2011年(平成23年)も東日本大震災による省エネ・節電の対策により4月の公式戦・ヤクルト主催試合の一部をデーゲームで行うことになり、東京六大学・東都大学両野球連盟の協力を得て、プロと同日開催である場合、学生野球の試合は1試合に減らし(それも午前9時開始)、プロ野球の試合を午後から開催できるようにした。, 2017年(平成29年)は5月3日・5月4日の阪神タイガース戦をデーゲームで開催することにし、これに伴い、本来であれば上記の木・金曜日(および東京六大学連盟が使用しない火・水曜日)のデーゲームを基本使用日としている東都大学野球連盟のリーグ戦は、5月1日・5月2日(3回戦にもつれたり、雨天延期が生じた場合は5月5日に予備日を設定する)の月・火曜日に前倒して開催を行った。, アマチュア野球とプロ野球が同日に開催される場合、観客は通常入れ替え制とするのが原則である(アマチュア野球の観客がすべて出場してから、プロ野球の観客を入場させる)。ただし、曜日・注目カード・優勝決定等の理由で入場待ち列が長くなり、神宮外苑内に並ばせる余地がない場合は試合中に主に外野席から優先してプロ野球の観客を入場させることがある。アマチュア野球で外野席を開放するのは原則として、東京六大学リーグ戦のみである。, 上記のようにファンサービスの観点で、学生野球が組まれていない時期[注 4]にもデーゲームが行われることがあるが、これまで8月の開催については暑さ対策のためデーゲームとはしなかった。2013年以後は、8月にも17時開始の薄暮開催の形でデーゲームをする試合が増えている。なお2018年は4月から6月に昼間開催を行ったほか、6月30日と7月1日には17時からの薄暮デーゲームを実施した。それ以後はすべて18時以後のナイターとなり、夏季薄暮を含めたデーゲームは行われない[注 5]。, 1967年(昭和42年)から2007年(平成19年)までの公称は両翼91m、中堅120mで、グラウンド面積は12,525m2であった。野球場研究家の沢柳政義によれば左中間は112.3m、右中間は112.2m。この広さは1967年の改修当時において標準的なものであったが、1980年代後半以降から日本各地で公認野球規則2.01(両翼は約99.1m、中堅は約122m)に合わせた球場が増えたために相対的に狭くなった。特に両翼は拡張される前の時点でプロ野球の本拠地球場としては最も距離が短く、そのためにファウルポール際の打球は詰まった当たりや低いライナーなどが容易にスタンドインしてしまうことが目立っていた。これを改めるため、2007年オフには改修に着手、両翼の距離は97.5mに拡張された。この際は101mに拡張したと発表されていたが、2013年オフに耐震工事開始前の測量を行った際に誤りだったとされ訂正された。ただしそれ以前から97.5mとする資料も存在する[10]。, 拡張されて両翼97.5m、中堅120mとなったがこの数値は他のプロ野球の本拠地球場と比較すればまだ狭いものである。また左・右中間から両翼にかけて拡張された面積は僅か134m2でフェンスは直線となっており、東京ドームに似たような広さ・形状となっている。ファウルゾーンはバックネットが直線状であるためダッグアウト前がやや広めである。外野側ファウルゾーンには2組の屋外ブルペンがあるが、プレイングフィールド内にブルペンがあるのは日本プロ野球12球団の本拠地球場中唯一である。ブルペン側のスタンド下にはダッグアウトと別にリリーフピッチャー用の控え室が用意されている。グラウンドは全面ロングパイル人工芝であり、ベース付近やマウンドなどにはアンツーカーを主に使用した土が敷かれている。, 完成当初は両翼100 m、中堅118 mでグラウンド面積は13,566m2。内野がクレー舗装(黒土)、外野が天然芝であった。当時としてはかなり広大なものであり、東京六大学ではエンタイトルツーベースを“エンタイトルスリーベース”とするオリジナルルールを適用していた。1962年には東映フライヤーズの要請により、プロ野球開催時のみ左・右中間から両翼にかけてラッキーゾーンを設置した。設置時の両翼は91.4mであった。1965年には前年の東京六大学の試合において、外野手がコンクリートフェンスに激突して怪我を負った事故の対策としてラッキーゾーンが固定式になり、他のコンクリートフェンスの内側にも金網フェンスが付けられた。さらに1967年、ホームベースの位置を中堅方向へ8.5m移動し、内野スタンドと外野スタンドの両翼側を内側へ増築、外野スタンドの中堅部分を削る工事を行った。この工事により両翼が91m、中堅が120m、外野フェンスの高さが1.8mとなり、当時としては標準的な広さとなった。ラッキゾーンは廃止されたが危険防止用の内側金網フェンスは存続、のち1970年に全面ラバーフェンスとなった。, 1980年(昭和55年)、ファウルグラウンドにのみ人工芝を敷設してテストし、1982年から全面透水性人工芝化。日本初の透水性人工芝と謳われた。マウンドなど土の部分は当初黒土のままであったがまもなくアンツーカーへ変更された。その後、1988年・1993年(内野のみ)・2003年(内野のみ)・2008年と張替えを行っている。ロングパイル人工芝となったのは2008年からで、それに合わせ人工芝下の舗装と暗渠も全面改修され、古くなった人工芝は隣接の第2球場に使われた。なお過去にも当球場で使われた人工芝は戸田球場や第二球場、東京大学のグラウンドで再利用されている。1995年(平成7年)には人工芝の導入により増加していたエンタイトルツーベースへの対策として、ラバーフェンスの上部に1.5mの金網フェンスが追加され、全体で3.3mとなった。, 完成当初の収容人員は29,000人で、外野スタンドは芝生席(収容人員約20,000人)、内野スタンドはベンチシート(収容人員約9,000人)[3]。バックネット裏最上段には貴賓席が設けられた。景観に配慮された設計となっており、貴賓席からレフト場外にある聖徳記念絵画館全体が見えるように高さを調整するため、外野スタンドは内野スタンドに比べ小さく、傾斜も緩くなった。58,000人収容となる1931年の増築ではそのまま外側に継ぎ足すように行われ、内野スタンドと外野スタンドの奥行きが同程度となった。傾斜に関してはそのままとなったため内野スタンドの外野寄りは、外野席側にやや傾きのあるようになった。スタンドの増築分の下にはコロッセオをイメージしたアーケードが作られたが、バックネット裏の球場正面部分は増築されずそのまま残された。, 東映フライヤーズが使用を開始した1962年(昭和37年)には球場正面部分も増築し、2階席が作られてその下に貴賓席や放送席が設けられた。1967年(昭和42年)の改修ではスタンドの傾斜の見直しと共に座席の前後幅を広げ、背もたれ付きの個別座席も設けられるようになった。その後は断続的に日本人の体格向上に合わせる座席の更新を行ったため収容人数は減少し、1998年(平成10年)には公称が45,000人になった。2000年代には収容人数を実数の36,011人と訂正、さらに外野スタンドを削った2008年(平成20年)の改修で収容人数は35,650人となった。なお2008年の改修ではバックネットも鋼製から繊維ネットに張り替えられた。2011年(平成23年)にはボックス式のテーブルシートのPontaドリームシートが設置されて収容人数は35,429人となり、2012年にもPontaペアシートが増設され収容人数は35,133人に、2013年にもセブン-イレブンデッキシートが設置されて収容人数は34,572人となった。その後改修工事に伴い2015年は34,092人、2016年は31,941人、2017年は31,828人、2018年現在は神宮球場公式ホームページによると31,805人となっている。前述の特別シート及び外野席の中・後席を除いて同じ折り畳みの背もたれ付き。かつては内野席入口で座布団の有料貸出しがあった。, プロ野球の本拠地球場としては延床面積が狭いなどやや施設面で欠点を抱えている。球場外の通路が駐車場として使用されており、試合終了後は観客の通行に支障が出る場合もある他、スタンドの面構成も適切とは言えないものとなっている。1967年(昭和42年)の改修で増設されたスタンドの前方(下段)は内野席、外野席とも傾斜が緩く(中堅部分になるにつれ解消される)、特に外野側(ヤクルト試合時の外野指定席)の一部では、前の客の頭でグラウンドが見えづらい席もある。一方、スタンドの後方(上段)は勾配のある造りとなっているものの、段差が不規則であることから、席により観戦のしやすさはかなり異なる(特に内野寄りにある外野席のはね上げ式座席部分)。選手用のスペースも小さく、クラブハウスと球場との行き来の際は内野スタンドと外野スタンドとの間にある通路から入り、ここからベンチへはグラウンド内を歩いていく。試合前や勝利後はファンとの触れ合いが見られる一方、連敗や惨敗した日は観客からの罵声や野次が飛び交い、時には物が投げ込まれるなど特にビジター側の選手にとっては「つらい移動」と呼ばれている。試合後の移動では取材陣がコメントを取るために監督や選手を囲んでいる様子が見られる(いわゆるぶら下がり)。なお、スワローズの選手は通路とクラブハウスの間は原則として地上を歩いて行くが、地下道もあって選手の移動に支障がある場合に使用される。この地下道は荒木大輔が入団時、ファンに囲まれて身動きが取れなくなるのを避ける為に設置されたため、通称「大輔トンネル」もしくは「荒木トンネル」と呼ばれている(燕太郎は荒木トンネルで生まれたという設定)。ビジター側は通路とクラブハウスが陸橋で繋がっている。, 1・3塁のスタンドには、大学野球の応援用に使用するパネルを設置するための金具が設けられている。2011クライマックス・セ1stステージのヤクルト対巨人戦(10月29日 - 10月31日)は、早慶戦と日程が重複したため、慶応の応援団が陣取る3塁側の応援パネルが撤去されずそのままの状態で飾られた中で試合が行われた。, 周辺住民に配慮し太鼓を叩いての応援は原則的には禁止。最初に規制が実施されたのは昭和天皇崩御に際しての自粛規制であったが、これを機会に以後も応援での太鼓使用についての規制が何らかの形で継続して現在に至っている。周辺住民からの再三再四にわたる抗議も影響していたとされる。プロ野球では2009年まで太鼓形態の打楽器は一切使用が禁止であったが2010年より、デーゲームに限って太鼓の使用が許可され、その後、2013年からはナイターにおいても太鼓の使用が認められるようになった。太鼓が使用出来ない応援の際はメガホンなどのリズムが、ポール際やセンター側でずれることがしばしばある。また高校野球では東京都高野連の規制により一切の打楽器使用は禁止(明治神宮、日本学生野球協会が主催する明治神宮野球大会高校の部を除く)、大学野球、その他アマチュア野球などでもいわゆる大太鼓は、試合前後と7回の校歌斉唱(学校により応援形態は様々なので、必ずしも校歌である必要はない)時のみの使用に原則的に制限される。ただし18時以前に限り吹奏団体所属の太鼓なら使用が許可されている。さらに、18時以降は太鼓を含む全ての打楽器類が使用禁止になり、22時以降は全ての楽器類が使用禁止になる。これは都条例におけるスタジアム等での楽器応援規制とは別なものである。全日本大学野球選手権では、校歌・応援歌・応援曲がアカペラで行われることがある。近年では神宮第二球場で行われる東都大学リーグ戦において、試合開始時および7回表裏の校歌斉唱以外は一切の楽器使用が禁止されている[要出典]。, 2009年5月よりジェット風船の使用を禁止している。当初はライトスタンドのみ禁止されていたが、新型インフルエンザの日本国内での感染拡大を受けて、他球場に倣い同年5月から使用自粛を呼びかけ、6月から球場周辺への風船ゴミ飛散防止と観客の衛生面への配慮を理由に全面禁止に移行した。, 外野観覧席背後に設置したスコアボードは、完成当初から得点表示部分は巻き取り式で、得点・カウントなどを遠隔操作で自動的に表示できる、当時としては近代的なものだった(選手名表示部はパネル式)[17]。1931年の拡張工事で得点表示部は延長15回まで、それにヒットやエラーなどを表示する装置も付けられた[18]。 1980年(昭和55年)には電光化、次いで1995年(平成7年)に高輝度放電管に置き換わって、フリーボードがスーパーカラービジョンとなりフルカラー化された。さらに2008年(平成20年)にはLEDによる全面フルカラーフリーボードとなった。屋外野球場としては国内最大規模の表示面積を誇る。映像表示時は画面アスペクト比16:9ワイドサイズのデジタルハイビジョンに対応している。電光化以降、独特の表示方式を用いており2008年の全面フリーボード化以降もこの方式がCGによってほぼ踏襲されている。特色として以下の点があげられる。, この他、バックネット裏2階席の屋根にサブスコアボードを1基設置している。メインと同じく2008年に全面フルカラーLEDフリーボードに変わり、映像表示が可能となった。またプロ野球の開催球場ではスコアボード上に5本のポールがあるのが一般的だが、当球場には3本しかない。セ・リーグ連盟旗を通常日本国旗が掲げられる中央に掲げ、代わりに国旗はサブスコアボード上のポールに掲げられている。, 広告のある箇所はフェンスやバックスクリーン周辺など、プロ野球の本拠地球場としてはかなり限定されている。広告が最初に設置されたのは1969年(昭和44年)で、改修費用の捻出という目的があった。コンクリートのフェンスと金網フェンスの間に差し込む仕組み[注 6]で、当初はプロ野球使用時のみに限定、大学野球開催時にも設置されるようになったのはこの年の秋からである。, 翌年にはラバーフェンスとなったため、ラバーに貼り付けられた。またこの頃にスコアボード付近(時計のある箇所の両サイドと、スコアボード下)の合計5箇所に広告が貼り付けられた。, 1980年(昭和55年)の電光掲示板設置時には、その周辺のみではあるが電光看板広告を設置(その後1995年にスコアボード寄りの左中間・右中間スタンド最上段にも1枚ずつ設置[19])した。後楽園、横浜スタジアム、川崎球場、ナゴヤ球場、阪神甲子園球場、広島市民球場に続いてであった。, 逆にフェンス広告は1981年に一度全て撤廃され、1990年代にはオールスターゲームで2013年(平成25年)オープン戦までの通常ネット裏スポンサーだったブリヂストン[注 7] のスペースが使用できなかった為に一時的に掲示したケース以外は全く掲示を行なわなかった。この理由として当時の神宮宮司は「フェンスは芝生の延長であり、芝生に広告を出さないだろう」と語った。, その後再び老朽化した球場を含む神宮外苑のスポーツ施設の管理・維持捻出のため2000年代初期からベンチ付近に復活、2006年(平成18年)からは外野部分にも貼り付けられた。, 2006年 - 2009年は外野側にヤクルト球団の協賛スポンサー・ユニデンの広告が集中的に貼り付けられていたが、ユニデンとの契約が切れた2010年から広告が減らされた。2010年は当初、左中間部分に明治記念館、右中間部分にはヤクルトミルミルの二つのみであったが、8月以降はヤクルト製品の広告が外野側に貼り付けられるようになった。2011年(平成23年)は左中間・右中間に一部ヤクルト以外のスポンサーの広告(ほけんの窓口・明治記念館、復興応援スローガン「がんばろう!日本」など。2015年からは新たに住友ゴム工業(「ダンロップ・エナセーブ」名義)も加わった)も掲示された。, また、バックスクリーンは回転板になる前から三菱自動車、NKホーム(旧・日本鋼管グループの住宅メーカー、すでに解散し現存せず)や東京スタイルの広告が両サイドに掲載されていた。1981年に回転板になってからは中央部分にヤクルト本社(1990年ごろまで)→トヨタ自動車(1991年ごろから)、両サイドは左がフジテレビ・右はニッポン放送(2006年ごろからニッポン放送の箇所もフジテレビに変更されたが、2018年現在は左がフジテレビ、右は青山商事<「洋服の青山」名義>になっている)が掲載されており、両サイドも回転板を採用している。ただし節電対策と、バックスクリーン中央部のスポンサー・トヨタの広告自粛の影響のため、2011年は中央部の稼動は中断した時期があった。, スコアボード本体については、2008年の改修実施後のフルビジョン化の実施に伴い、それまで選手の個々の打率・ホームラン数を表示していた箇所に広告が表示されるようになった。, バックスクリーン裏や内野、外野観客席裏に軽食や弁当類、カレーやラーメンなどを提供する店舗が多数入居している。なお、築地銀だこやサーティワンアイスクリームなど、複数のチェーン店の店舗も入居している。アマチュア野球の開催が中心であった経緯から、他球場に比べてオーソドックスな出店形態であったが近年はプロ開催時を中心にオリジナルグルメも充実させている。東京六大学野球でも限定メニューを販売。売り子は、2017年まで男性による瓶ビール(紙コップに注いで)の販売も続いていた。自販機はヤクルト社を含めて缶、瓶製品以外を設置。また、ヤクルトスワローズを中心としたプロ野球グッズ(ポップコーン、ビニール傘等)を販売する売店が内外にあるほか、試合開催時には対戦チームのグッズを専用に販売する売店も設けられる。なお球場の構造上、観客が内野スタンドと外野スタンドを行き来することは出来ない(野球以外のイベントでは認められる場合がある)。2011年からは内野席の観客が外野スタンド内の売店を利用することが認められており、場外から再入場する形で行われている(直接の往来は不可のまま)。, 1926年(大正15年)、明治神宮相撲場として開設された。1947年(昭和22年)から1948年にかけて大相撲の本場所興行が行われた[注 8]。その後野球場に改築されることになり、1961年に竣工したが国鉄スワローズの移転の見込みに伴いすぐに増改築が行われた。当初は神宮球場のレフトスタンドとセンターが接する形となっていたが[20]、一塁側スタンド(現在のゴルフ練習場)が接する向きに変更された。以前フィールドは全面クレー舗装だったが、1993年(平成5年)に人工芝が敷設された。2020年の東京五輪では当敷地を投擲種目の練習場とすることになっているが、具体案は公表されていない。, 球場自体の用地が狭隘で外野後方には道路があるため外野スタンドがなく、フェンスに沿って高い防球ネットが張られていた。また1・3塁側についてもベンチを越えた内野以降は座席が設けられていなかった。メインスタンド(バックネット裏)は二層式スタンドで、通常は1階席の部分のみ開放。多客時には2階も開放されていた。2階席の一部には神宮球場のグラウンドを見下ろすことができるエリアがあり、神宮球場で試合が行われている場合は満員時を除き立ち入り禁止となっていた。, 座席は本球場の外野席と同様の背もたれのない一人用となっており、バックネット裏上段に机付きの記者席もあった。高校、大学野球ではベンチ上のスペースで応援団員がエール交換等を行っていた(最大3名程度)。, 2019年までは東京都高等学校野球連盟主管の大会(夏の高校野球東東京大会や春季・秋季大会)に使用されていた。以前は創設当初の首都大学野球連盟、東京新大学野球連盟や東都大学野球連盟の2部リーグも使用していたが大学野球は日程が祝日になった場合、加盟校のグラウンドを使用するため、原則として明治神宮大会、及び東京都高野連主管大会で使用する場合を除いて、アマチュア野球が第2球場を週末(土・日)と祝日に使うことはなかった。明治神宮大会ではかつて高校の部は準決勝までの試合が行われ、以後本球場への開催に移った際も大学の部1回戦は数試合が組まれていた(明治神宮大会では本球場との共通券が販売され、各球場分で両辺が切り取れる形態となっていた)。また多くの入場が見込まれる試合は本球場での開催に変更されることもあった。末期は夏季大会の準々決勝や秋季大会の準決勝以降の会場から外されるなど、高校野球での使用も減少傾向にあった。, なお東都大学2部リーグでは1973年から第2球場を主会場としていたが、球場が狭いことにより打球が場外に飛び出すケースが比較的多いことや、施設の老朽化などから、2013年秋季をもって第2球場の使用を中止することになり、2014年春季リーグ戦以後は、2部リーグに加盟する大学のグラウンド、町田市小野路球場等での実施を経て首都圏公営球場で開催している[21](ただし、東京六大学連盟のその週の大会が日曜日までに終わっていれば、神宮球場を会場として使う場合もあった[22])。また、かつて1部リーグ(雨天等で本球場での試合消化が難しい際)や2部以下の入替戦も開催実績がある。, 上記事情によりプロ野球1軍の試合には使用されていないが、過去に2軍・イースタン・リーグの試合に使用された例はある(1962年の国鉄対大毎戦他)[23]。, また第二球場は明治神宮外苑ゴルフ練習場(外苑ゴルフクラブ)の西練習場を兼ねており、一塁側ダッグアウト付近から右翼ポール際にかけてゴルフ練習用の打席が121打席設置されている。ゴルフ練習場のうち東練習場は通年営業しているが、第二球場を兼ねる西練習場は、アマチュア野球公式戦の行われる日は早朝(基本的に6時 - 8時45分)と夜間(アマチュア野球大会の試合終了後[注 9]から深夜)のみの営業となる。アマチュア野球公式戦が行われる時間帯以外はゴルフ練習場として供用しており、野球場としての草野球の一般利用は受け付けていない(ゴルフのみ運営の場合でも9:00-9:30はボールの回収作業を行うため利用不可。また周辺道路や施設への影響を考慮し、練習場では飛距離を抑制した低反発球を使用することになっており、一般のゴルフコースや他のゴルフ練習所で使用する通常のボールの使用・持ち込みは厳禁となっている)。ゴルフ西練習所は1973年(昭和48年)に設置された(東練習所=第2球場東隣はその前年の1972年開設)。, フェンス広告はないが、ゴルフ練習場として活用されていることを踏まえて、レフト側にゴルフ関連の広告看板が設置されている。また、過去には、神宮球場に合わせて右翼側のスコアボード上に、SEIKOの広告看板が設置されていた。, 東都2部撤退後の2014年頃から外野を中心として人工芝の劣化が顕著となり、2016年頃には外野の大半は下地がむき出しの黒ずんだ状態となっていた。2017年頃から一部の芝が張り替えられたもののそれ以降も外野の芝は継ぎ接ぎ状態であり、センターからライト方向深くの芝は最後まで黒ずんだ状態で使用された。, 2019年11月3日の秋季東京都高等学校野球大会準々決勝日大三-帝京戦を最後に野球場としての使用は終了した。奇しくも東京を代表する名門校同士の対戦となり、試合前には東京都高野連による高校野球全日程終了の式典が行われた[24]。試合終了後には両校の選手・監督らによる記念撮影が行われ、ともに全国でも屈指の名将として知られる帝京監督の前田三夫、日大三監督の小倉全由(関東一高監督も歴任)は健闘を讃え合うとともに球場への感謝の思いを語った[25][26]。その後2019年末までゴルフ場としての営業が継続されたのち、2020年以降は東京オリンピックに向けた資材置き場となっている。 この時期には球場初のプロ野球公式戦、全日本大学野球選手権大会の前身である大学野球王座決定戦、第1回目のプロ野球日本選手権シリーズ第1戦(当時の呼称は「日本ワールドシリーズ」)などが開催さ … 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 横浜スタジアムの写真はHaruakibay様に帰属しています。 こちらでは、プロ野球日本シリーズの球場の決め方やデーゲームではない理由などについてまとめました。日本シリーズのような短期決戦ではプレーする球場がホームかビジター(アウェイ)かは非常に重要です。しかし球場の決め方は実に理にかなった公平なものでした。 こちらでは、プロ野球日本シリーズの球場の決め方やデーゲームではない理由などについてまとめました。日本シリーズのような短期決戦ではプレーする球場がホームかビジター(アウェイ)かは非常に重要です。しかし球場の決め方は実に理にかなった公平なものでした。 ご希望の方はダウンロードしてください。, 球場写真等の著作者 広島市民球場の写真はHKT3012 様に帰属しています。 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 日本のプロ野球はセ・リーグ6球団とパ・リーグ6球団の合計12球団で行われています。毎シーズン5月・6月には交流戦も行われるようになりました。セ・リーグのファンの方もパ・リーグのファンの方も今まで行ったことのない球場へ足を運ぶ機会が増えました プロ野球12球団のロゴは各球団に帰属しています。 また、球場の一覧はPDFにまとめてあります。 グラウンドの画像データはYAKUJYO.com様に帰属しています。 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 !”, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=明治神宮野球場&oldid=80361426, サブスコアボード - 東芝ライテック製 スーパーカラービジョン、表示部大きさ: H 3.6 × W 6.4m、面積: 23.04m, 電光化されたと同時に選手名表示部には出場中の全選手の打率・本塁打数を表示することができた。2007年までは両チームとも常時表示していたが、全面LED化後から試合中は広告スペースとなり現在打席に立つ打者の成績のみをスコアボード上部に表示している。東京六大学野球では顔写真、プロフィールを表示。選手の登録名に従って旧字体はそのまま表示される。また, 電光化直後は選手名の表示部分が9名分しかなかったため、指名打者制を使用する試合では投手名をチーム名表示の箇所に、後に中央下部にあるビジョンの両端に表示されていた。, 得点表示部には各イニングの得点と合わせて安打数も表示される。ただし写真にあるように高校野球等、一部ヒット数の表示がされない場合もある。その関係で通常は得点表示部の上に出すイニング表示が上下のスコア表示部の間にある。また総得点の右横に並べることの多いチームの総安打数は総得点の上側に表示される。, 電光化前はイニング表示が15回まで用意されていた。これは、東京六大学野球の引き分け規定が延長15回まで(一時期、場合により18回まで)であったためである。電光化直後は、9イニング分までしか枠がなかったため、延長10回時に「計」の部分(スコアが2桁となった場合の十の位の部分)を代用し、合計得点が表示できないでいたが、カラービジョン設置以後は10回の枠もあり、延長戦でも合計得点の表示が出来るようになった。, 巻き取り式の時代は1イニングの得点は最大9点までしか表示が出来なかった。このため、, ボールカウントはCGで信号灯を模して上部中央に表示している。その左横には試合開始からの経過時間とプレーの判定表示(H・E・Fc)がある。, 映像は普段何も表示されていない中央下部のみで表示される場合と、全画面で表示される場合、スコア表示部分を含めた中間の大きさで表示される場合の3パターンがある。球速の表示も中央下部になっている。, 審判名を常時表示する部分がなく、中央下部に適宜表示される。通常はダイヤモンドを模した図で表示されるが、, スコアボード - パネル式(右中間側・15回まで なお合計得点は原則として15回の部分に掲示する。), 1948年(昭和23年)11月4日 - 読売ジャイアンツ創設15周年記念の無料オープン戦(相手は, 1964年(昭和39年)9月19日 - 東京六大学リーグ戦の早稲田対立教戦で、早稲田の直江輝昭(右翼手)が飛球を負って背走した際にフェンスに激突し、重傷。事故後の1965年にフェンスの内側に金網が設置されたが、金網に手が入って負傷する事故が発生したことから、1970年に金網を取り除いてラバーフェンスに変更している。, 「D4DJ Groovy Mix Presents SUMMER STRUGGLE in JINGU」(2020年8月29日). こちらでは、プロ野球の球場で一番広いのはどこなのか、さらに収容人数ランキングなどについてもまとめました。最近では日本でもドーム球場も増え球場のタイプもさまざまあります。日本のプロ野球チームは12球団ありますが一番広い球場はどこなのでしょうか? 宮城球場の写真はGomurafuji様に帰属します。 日本のプロ野球チームは現在、12球団ありますが、それぞれの球団が本拠地球場を持っています。 最近ではドーム球場も増えてきましたが、歴史のある古い球場から新しい球場までさまざまなタイプの球場があります。 みなさん、こんにちは! B-CHANです。 現在、日本にはプロ野球チームがたくさんあります。 この記事を書いている2014年5月現在で30チーム近く存在します。 有名なのは日本野球機構(NPB)に属するセントラル・リーグとパシフィック・リーグの12チームですが、他に、四国アイランドリーグplusやベースボール・チャレンジ・リーグなど、いくつかのプロ野球組織が存在します。 今回は、その中で、セ・リーグとパ・リーグ … ナゴヤドームの写真はkanesue様に帰属しています。 千葉マリンスタジアムの写真はROG様に帰属しています。 日本のプロ野球チームは現在、12球団ありますが、それぞれの球団が本拠地球場を持っています。, 最近ではドーム球場も増えてきましたが、歴史のある古い球場から新しい球場までさまざまなタイプの球場があります。, 今回は、プロ野球の球場で一番広いのはどこなのか、さらに収容人数ランキングなども見ていきたいと思います。, プロ野球の球場の広さを何で決めるかは判断が分かれるところもあるかと思いますが、今回は両翼・中堅が広い球場を中心に、参考としてフェンスの高さも加えてみました。, 狭い球場が多かった日本の球場ですが広い球場も増えており、メジャーリーグと比べても遜色のないサイズになってきています。, 単純に両翼・中堅が広さだけで判断するなら広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)が一番広いということになります。, しかし、これに加えてフェンスの高さを考慮に入れると、札幌ドームが一番広いという判断もできます。, 両翼で一番広いのは、広島市民球場の左翼の101mで、おもしろいことに左翼と右翼では1mだけ違います。, 新しい球場は、両翼100m、中堅122mを基準にしていることが見受けられ、古い球場はやや狭い傾向があることがわかります。, 両翼・中堅が広い球場ランキング 1位 広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島):両翼(左翼101m・右翼100m)・中堅122m 2位 楽天生命パーク宮城:両翼100.1m・中堅122m 3位 札幌ドーム・東京ドーム・西武ドーム(メットライフドーム)・ナゴヤドーム・大阪ドーム(京セラドーム)・福岡ドーム(福岡PayPayドーム):両翼100m・中堅122m 9位 千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム):両翼99.5m・中堅122m 10位 明治神宮野球場:両翼97.5m・中堅120m 11位 阪神甲子園球場:両翼95m・中堅118m 12位 横浜スタジアム:両翼94.2m・中堅117.7m, 両翼、中堅までの距離が同じ場合、フェンスが高ければ当然ホームランは出にくくなります。, 最もフェンスの高い札幌ドームと最も低い楽天生命パーク宮城を比較すると、2倍以上の差があります。, これは大変大きい差で、札幌ドームと楽天生命パーク宮城は両翼、中堅までの距離はほぼ同じですからホームランの出やすさにも差がつくことは容易に想像できます。, フェンスが高い球場ランキング 1位 札幌ドーム:5.75m 2位 横浜スタジアム:5.3m 3位 ナゴヤドーム:4.8m 4位 千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム):4.4m 5位 東京ドーム:4.24m 6位 大阪ドーム(京セラドーム)・福岡ドーム(福岡PayPayドーム):4.2m 8位 明治神宮野球場・西武ドーム(メットライフドーム):3.3m 10位 阪神甲子園球場:2.6m 11位 広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島):3.6m 12位 楽天生命パーク宮城:2.5m, スポーツの競技場は広さが決まっていることが多いと思いますが、プロ野球の球場の広さが違うのはなぜなのでしょうか?, 野球でもベース間の距離やピッチャーのプレートからベースまでの距離など、球場によって変わると不都合な部分に関しては厳密に規定されています。, 球場の広さについては、両翼まで320フィート(97.534m)、中堅まで400フィート(121.918m)以上あることが望ましいと規定されてはいますが、あくまで望ましいということで強制ではありません。, 実際に明治神宮野球場、横浜スタジアム、阪神甲子園球場の3つの球場はこれを満たしていません。, 野球はもともとフェンスのない広場などで行われていたスポーツであり、極端な話、外野の広さはどうでもいいのです。(もちろん狭すぎては困りますが…), というわけで、プロ野球の球場の広さが違うのは野球の生い立ちが影響しているのが理由といえます。, 4万人を収容可能なのは意外にも3球場のみで、最少は横浜スタジアの30,000人です。, 収容人数ランキング 1位 阪神甲子園球場:47,508人 2位 東京ドーム:45,600人 3位 札幌ドーム:42,270人 4位 福岡ドーム(福岡PayPayドーム):38,530人 5位 ナゴヤドーム:36,650人 6位 大阪ドーム(京セラドーム):36,154人 7位 西武ドーム(メットライフドーム):33,556人 8位 広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島):33,000人 9位 明治神宮野球場:31,828人 10位 楽天生命パーク宮城:30,508人 11位 千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム):30,119人 12位 横浜スタジアム:30,000人, 今回は、プロ野球の球場で一番広いのはどこなのか、さらに収容人数ランキングなども見てきました。, プロ野球の球場で一番広いのは、単純に両翼・中堅が広さだけで判断するなら広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)、フェンスの高さを考慮に入れると札幌ドームが一番広いといえます。, 球場の広さは、両翼100m、中堅122mを基準になっており、古い球場はやや狭い傾向があります。, なお、収容人数ランキングでは阪神甲子園球場が47,508人で長い間、トップを守り続けています。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, こちらでは、プロ野球のホームランが出やすい球場ランキングと球場が広いとやはりホームランが出やすいのかどうかまとめました。野球ではホームランは広い球場では出にくく狭い球場では出やすいイメージですが本当なのでしょうか?調べてみると意外な結果が!, こちらでは、野球のベース間の距離はどれくらいなのか、プロと小学生・中学生・高校生では違うのかなどをまとめました。ベース間(塁間)の距離はプレーによってアウトかセーフになるよう、とてもうまく設定されています。距離はどれくらいえ年齢による違いは?, こちらでは、野球を見るなら一塁側と三塁側のどっちがいいのか、またどんな違いがあるのか、についてまとめました。プロ野球においては以前は、一塁側がホームチーム、三塁側がビジターチームという習慣のようなものがありましたが今はどうなっているのでしょうか?.

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