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1985年攻略情報(ウイニングポスト7 2013) 1988年攻略情報(ウイニングポスト7 2013) 132–136, 166–169;Lacey, pp. 124–125;Pimlott, p. 86, 『ビッグコミックススペシャル 明仁天皇物語』 原作:永福一成 作画:古屋兎丸 監修:志波秀宇、小学館、2016年, http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/26/queen-elizabeth-took-king-abdullah-a-drive_n_6544824.html, http://www.yomiuri.co.jp/world/20150909-OYT1T50108.html?from=ytop_main5, Biography of HM Queen Elizabeth the Queen Mother:Activities as Queen, A speech by the Queen on her 21st Birthday, 1947, The Crown:Princess Elizabeth's 21st Birthday Speech (1947), http://sankei.jp.msn.com/world/news/110517/erp11051721010008-n1.htm, 黒柳徹子という、素直に、飽きずに、子どもの目で世界を見る人。 BY VOGUE JAPAN 2017年1月11日, http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120807/enn1208070749003-n1.htm, https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-05-11/O70BAR6KLVR801, https://web.archive.org/web/20160511151010/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160511/k10010517421000.html, http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ5C71VXJ5CUHBI036.html, エリザベス女王、最長在位の秘訣は食にあり(チョコは別腹)2017年6月19日(月)17時30分 西川 恵(毎日新聞社客員編集委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載 - ニューズウィーク日本版, James Bond and The Queen London 2012 Performance, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=エリザベス2世&oldid=80325610, 神の恩寵によるグレートブリテン、アイルランドおよびイギリス海外自治領の女王、信仰の擁護者(, 神の恩寵によるグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国およびその他のレルムと領土の女王、コモンウェルスの長、信仰の擁護者(, 2018年12月25日朝に放送されたクリスマスメッセージのビデオ(録画:同年12月12日)では、「, 2019年のクリスマスメッセージのビデオでは、背景にヘンリー王子夫妻の写真が無いことが特に注目され、「国民や王子夫妻に対して何らかのメッセージを送っているのではないか」との憶測を呼んだ。結果的に、翌2020年の年明け早々、王子夫妻の王室離脱(同年3月31日付での, その他、エリザベス2世女王のイレギュラーなテレビ放送によるビデオメッセージとしては、1回目が1991年の, 愛犬家であり、少女時代に先代国王の父ジョージ6世が遊び相手として与えたことから、現在も. 2020/11/15(日)エリザベス女王杯の予想です。過去の傾向(人気・枠順・血統・馬体重・前走)から好走データに該当する注目馬をピックアップ。阪神芝2200mのコース分析やリーディング上位種牡馬のデータ分析も行なっています。 119, 126, 135, Brandreth, pp. エリザベス2世(エリザベス2せい、(英: Elizabeth II、1926年4月21日[注釈 1] - )は、イギリスのウィンザー朝第4代女王(在位: 1952年2月6日 - )。その他15か国のイギリス連邦王国および王室属領と海外領土の元首。また、イングランド国教会の首長(英語版)。スコットランド王としては、エリザベス1世[1](エリザベス1せい、(英: Elizabeth I)[注釈 2]。実名は、エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー(英: Elizabeth Alexandra Mary Windsor)。, 1926年4月21日、父方の祖父ジョージ5世国王治世下のイギリス、ロンドンのメイフェアで、ヨーク公アルバート王子とエリザベス同妃の第1子・長女として誕生し、宮廷内で養育された。, 1936年12月11日、父のアルバート王子が、彼の兄であるエドワード8世の退位を受けて、ジョージ6世としてイギリス国王に即位すると、エリザベス王女は推定相続人(王位継承権第1位)となった。また、第二次世界大戦中に英国女子国防軍に属して公務に携わるようになった。, 1947年には、エディンバラ公爵フィリップと結婚。チャールズ(第1子/第1王子)、アン(第2子/第1王女)、アンドルー(第3子/第2王子)、エドワード(第4子/第3王子)の4人の子女(3男1女)を出産し儲ける。, 1952年2月6日、父の国王ジョージ6世が崩御し、1701年王位継承法(旧法)に基づいて、25歳という若年にして「エリザベス2世(Elizabeth II)」としてイギリス女王(君主)に即位した。なお、夫(王配)のフィリップは共同君主・共同統治者ではない。1953年6月2日に執り行われた自分の戴冠式は史上初めてテレビ中継された。, 1952年2月6日にイギリス女王(国王)に即位してイギリス連邦に加盟する独立国家たる7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王(国王)になる。連合王国女王のレルムに属する国家および領土の数は1956年から1992年までに独立あるいは共和制に移行したりしたため、少しずつ減少していった。, アイルランド共和国への公式訪問(英語版)や、ローマ教皇との間の相互訪問など、多くの歴史的な訪問および会見をこなしただけでなく、イギリスの地方分権(英語版)やカナダ憲法におけるパトリエーション(英語版)のように、立憲君主制下での重大な憲法改正を自身の治世で目の当たりにしてきた。このほか、個人的な出来事としては、4人の子女(3男1女)の出産と結婚、および孫と曾孫の誕生、プリンス・オブ・ウェールズの叙任(英語版)(立太子礼)、そして自身のシルバー・ジュビリー(英語版)(1977年)、ゴールデン・ジュビリー(英語版)(2002年)、ダイヤモンド・ジュビリー(英語版)(2012年)、それぞれの祝事を経験した。, 2020年1月1日現在の今日においては、(現在まで存続している)前述の4か国(イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)に加え、ジャマイカ、バルバドス、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスがエリザベス2世女王を君主としている。こうしてエリザベス2世は、合計16か国の君主を兼ねている。またクック諸島など、上記の国と自由連合制をとる国や、その他の国・地域の中にも女王を元首としているところが存在する。またイギリス連邦においては統合の象徴であるコモンウェルスの長(英語版)と規定されている。, 2007年、高祖母たるヴィクトリア女王を抜いて、イギリス史上最高齢の君主になった。, 2015年1月23日にはサウジアラビア国王のアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズが90歳で崩御したことにより、88歳(当時)で存命する在位中の君主の中で世界最高齢になった[2]。, 2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、ハノーヴァー朝第6代のヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となった[3]。, 2016年4月21日に90歳の誕生日を迎えたが、公務への意欲は衰えず、積極的に取り組んでいる。彼女が2015年度に常時の住居であるバッキンガム宮殿やウィンザー城などの宮殿や居城で接遇した人数は、9万6000人に及ぶ。イギリスでは年度ごとの叙勲者には、女王(国王)が一人ひとりに勲章や記章を手渡すことが慣例となっている。近年では長男のチャールズ王太子や孫の一人であるウィリアム王子もこれを担うようになってはいるが、それでも彼女がこなす公務は年間200件を越える[4]。また、医療や福祉の充実、科学や芸術の振興、教育や歴史的文化財の保護、動物保護や環境保全などの団体の会長や総裁を務めている。関係する団体は、イギリス本国だけではなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど英連邦王国構成国をはじめ世界16か国にまたがり、2016年8月時点で648団体にのぼる[4]。, 2016年10月13日にはラーマ9世(タイ王国国王)の崩御により、2020年4月21日現在(94歳)、存命の君主では世界第1位の長期在位君主となった。, 1926年4月21日午前2時40分(BST)、ロンドン市内のメイフェア地区ブルートン・ロード17番地に所在する母方の祖父の家において、ヨーク公アルバート(後の国王ジョージ6世)と妃エリザベス(後のエリザベス王妃、王太后)との間に、第一子・長女として生まれる。出産は帝王切開であった。父アルバートは、国王ジョージ5世と王妃メアリーの次男で、母はスコットランド貴族の第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女である。, 同年5月29日に、バッキンガム宮殿内のプライベート・チャペルで、ヨーク大主教(英語版)のコズモ・ラング(英語版)によって洗礼が施された[注釈 3][5]。名前は母エリザベスと父方の曽祖母アレクサンドラ、同じく父方の祖母メアリーに因んで命名され[6]、家族からは“リリベット”の愛称で呼ばれていた[7]。祖父ジョージ5世は孫娘エリザベスを溺愛しており、1929年に自身が大病を患った際も、「彼女が定期的に見舞いに訪れたことが、病気の回復を早めるのに一役買った」と言われている[8]。, 1930年、4歳の時に、妹マーガレットが誕生した。当時は、「結婚が保証される上流階級の女子には、教育は不必要」という時代であった。しかし祖母メアリー王妃の方針により、姉妹揃って宮廷内で教育を施された[9][10]。教育は、家庭教師マリオン・クロフォード(英語版)によって、歴史、言語、文学、音楽を中心に行われた。クロフォードが後に記した伝記によれば、「エリザベス王女は、この頃から馬や犬などの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格であった」とある[11]。また後に彼女の治世となって最初の首相となるウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベス王女に接して「子供ながら、驚くほど威厳と沈思のある態度だった」と回想している[12]。, 出生時における正式な称号は、Her Royal Highness Princess Elizabeth of York(エリザベス・オブ・ヨーク王女殿下)であり、伯父の王太子エドワード、父のヨーク公アルバートに次いで、第3位の王位継承順位にあった。エリザベスの誕生は世間の関心を集めたが、当時は、まだ若年て独身だった王太子のエドワードへの王位継承が期待されており、国王の次男の長女である彼女の即位を予想する者はいなかった[13]。, 1936年1月、祖父ジョージ5世国王の崩御を受けて伯父にあたるエドワード8世が即位する。しかし彼は、イギリスと対立しつつあった枢軸国、とりわけナチス・ドイツに親近感があるような態度をとり、離婚経験を有するアメリカ人女性のウォリス・シンプソンとの結婚をほのめかした。これにより、スタンリー・ボールドウィン首相らが彼に退位を迫り、同年12月に退位する(この一件は「王冠を賭けた恋」として知られる)[14]。そして、エドワード8世の弟でエリザベス王女の父であるヨーク公が即位して、国王ジョージ6世となる。これを受けて、イギリス国王の長女(第1子)で王位継承権者第1位となったエリザベス王女は国王王妃夫妻となった両親と妹のマーガレット王女と一家とともにバッキンガム宮殿に移住し、Her Royal Highness Princess Elizabeth(エリザベス王女殿下)の称号を与えられた上で、王位の推定相続人となる[15]。当時のイギリスの1701年王位継承法上、男子優先長子相続制であったこの時点で、「もしもエリザベス2世に弟が存在していたならば、その弟が王太子即ち次期国王となり、彼女は推定相続人として女王に即位することを逃していたであろう」と考えられる[16]。, フィリップ・ド・ラースローによる『ヨーク公エリザベス王女』、1933年。当時7歳。, 1939年9月3日にイギリスがフランスと共にドイツに宣戦布告したことで第二次世界大戦(西部戦線)が勃発し、1941年12月8日には極東において日本との戦争(太平洋戦争/大東亜戦争)も起き、欧州戦線におけるアメリカ合衆国の参戦も加わり、1945年8月15日の日本の降伏まで戦闘は継続した。この間、しばしば首都ロンドンも空襲「ザ・ブリッツ」の対象となり、ロンドンに居住する多数の子供が疎開していった。国王夫妻の子供であるエリザベスとマーガレット王女姉妹についても、「より安全なカナダへと疎開させること」が政府から提案されたものの、母エリザベス王妃が「私の子供たちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と述べて、これを拒否した[17]。, 結局、両姉妹は1939年のクリスマスまで、スコットランドのバルモラル城で過ごすことになり、その後はノーフォークのサンドリンガム御用邸に戦時住居として移転した[18]。さらに1940年2月から5月まで、ウィンザーのロイヤル・ロッジ(英語版)に滞在した後、ウィンザー城へ移り住み、以後ドイツ空軍による空襲の脅威が減少するまで5年近くを過ごすこととなった[19]。, ウィンザー城滞在時には、軍用衣類向けのニット生地を生成する毛糸を調達していたクイーン・ウール・ファンド(Queen Wool Fund)を支援するために、クリスマスに家族や友人たちを招待して、王室職員の子女たちとともに、パントマイムを上演したこともあった。この滞在中の1940年10月13日、14歳のエリザベスはBBCのラジオ放送を通じて初めて演説を行い[20]、, これ以後、次期王位継承者として少しずつ公務に携わるようになる。1942年に近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長となり、大戦中も国民と共に後方支援にあたった。1943年、16歳の時に、エリザベス王女は初めての単独での公務において、名誉連隊長としてグレナディアガーズを訪問した[22]。以降も各地への訪問および激励を重ねた。, 18歳の誕生日を迎えると、法律が改正されて、父王が公務を執行できない場合や国内に不在である場合(例えば、1944年7月のイタリア訪問時)に、彼女が5人のカウンセラー・オブ・ステート(英語版)のうちの1人として行動できるようになった[23]。, 1945年2月には、イギリス陸軍の英国女子国防軍に入隊し、名誉第二准大尉として、女性軍人として「エリザベス・ウインザー」の名および『230873』の認識番号において[24]、軍用車両の整備や弾薬管理などに従事したほか、大型自動車の免許を取得し、軍用トラックの運転なども行った[25][注釈 4]。, それまでの女性王族は、イギリス軍などにおいて「肩書き」が与えられたとしても、名誉職としての地位に過ぎないというケースが慣例だったが、枢軸国によるイギリス本土への上陸の危機(バトル・オブ・ブリテン)という非常事態を受けて、次期イギリス女王になることがほぼ確定されていたエリザベス王女はその慣例を打ち破り、他の学生たちと同等の軍事訓練を受け、軍隊に従軍する初めてのケースとなった。, エリザベス王女は、王族である自身が一般の兵士とほぼ全く同等の待遇をされることを非常に喜び、これらの経験をもとに、「自分の子供たち(3男1女)も宮廷で教育させるより、一般国民の子女たちと同等の学校に通わせることを決意した」という。ヨーロッパでの第二次世界大戦が終結した、1945年5月8日(現・ヨーロッパ戦勝記念日、V-Day)には、「ロンドンの街中で戦勝を祝福する一般市民の中に、妹と共に匿名で混じって、真夜中まで勝利の喜びを分かち合った」という。, 第二次世界大戦におけるイギリスの勝利後の1947年4月には、両親の国王夫妻に付き添って初めて外遊し、妹のマーガレット王女と一家4人で南アフリカを訪問した。外遊中、ケープタウンにて21歳の誕生日(4月21日)を迎えた際には、英連邦に向けたラジオ演説の中で、エリザベス王女は次のような誓いを交わした。, 1947年8月19日、科学技術産業振興協会(王立技芸協会)会長に選出された[28]。, 将来の夫となるギリシャおよびデンマーク王子フィリッポス(フィリップ)とは、1939年7月にダートマス海軍兵学校で出会い、一目惚れして以降、文通を始めることとなる[29]。また、これ以前にも1934年と1937年の二度にわたり面会している[30]。なお、夫婦である二人はデンマーク国王のクリスチャン9世とヴィクトリア英女王を通して遠戚関係にある。, 1947年7月9日に正式に婚約が発表されたが[31]、婚約に至るまでの経緯は決して順風満帆とは言えなかった。その要因は、フィリップがギリシアから亡命した現役のイギリス海軍士官であり、資産を所有していなかったこと、外国生まれであることのほか、フィリップの姉がナチスとの関係を持ったドイツ系貴族と結婚していたこと等にある[32]。, なお、これに先立つ同年2月にフィリップはイギリスに帰化した。帰化した際、イギリスにおける軍務を継続するために母の実家の家名である「マウントバッテン」(Mountbatten、「Battenberg」を英語化したもの)を姓として選択した。またこれに伴いフィリップは、ギリシア正教会からイングランド国教会への改宗を行い、さらに形だけとなっていたギリシャ王子及びデンマークの王子の地位を放棄することを宣言した。, 同年11月20日にウェストミンスター寺院にて、かねてから交際を続けていたフィリップと婚礼を挙げた(エリザベス王女とフィリップ・マウントバッテンの結婚(英語版))。結婚後の数ヶ月間を当時イギリス領だったマルタで過ごした。夫妻は世界中から2500個の結婚祝い品を受け取った[33]。戦後のイギリスにあっては、婚礼に招待するに際して、当時存命していた3人の姉を含めて、フィリップ(エディンバラ公)のドイツとの関係は受け入れ難いものだった[34]。また、ウィンザー公(かつての国王エドワード8世)も招待されなかった[35]。, エリザベスは、結婚した翌年の1948年11月14日に第一子・長男チャールズ王子を出産し、1950年8月15日には第二子・長女となるアン王女が誕生した。, 生来病弱であった父ジョージ6世の健康状態は1951年に入り悪化し、翌1952年2月6日未明、療養を兼ねて狩猟やスポーツを楽しむ為に訪れていたサンドリンガム御用邸で、就寝中に冠状動脈血栓症により、崩御(死去)した(56歳没)。エリザベス王女は夫のフィリップとともに、英国にはおらずオーストラリアとニュージーランド公式訪問の途上、ケニア滞在中であった。, これを受けて、1701年王位継承法(旧法)に基づいてそれまでのエリザベス王女[36]が王位を継承し、女王(イギリスの君主)に即位して「エリザベス2世女王陛下」[37]となり、同名の母エリザベス王妃は「エリザベス王太后」[38]となる。, 翌1953年6月2日には、世界各国の元首級の賓客らを招待してウェストミンスター寺院で戴冠式(英語版)を行い、この模様はイギリス連邦内だけでなく世界各国に当時の最新メディアである白黒テレビにより中継された。これには日本の皇室からも、昭和天皇の名代として皇太子明仁親王(当時)が参列した。, 1960年2月19日、第三子・次男アンドルー王子出産。1964年3月10日、第四子(末子)・三男エドワード王子出産。, 日本へは1975年に1度のみ、フィリップ王配と夫妻で訪問している(5月7日-12日)。その際は、当時の昭和天皇をはじめ皇室とも交流を重ねた。5月7日夜に昭和天皇主催の皇居での宮中晩餐会に出席し、8日にはNHK(日本放送協会)を訪問、大河ドラマ「元禄太平記」の収録を見学した。9日には都心でパレードをして東京都民の歓迎に応えた。女王はこの後、京都御所や伊勢神宮を訪問し、12日に離日した[39]。, 1980年10月17日にはバチカン市国を公式訪問、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と会談、「1982年に計画しているイギリス訪問を歓迎する」と述べた。イギリスの元首にしてイギリス国教会の最高権威がローマ教皇を公式訪問したのは、1534年にヘンリー8世がイギリス国教会を作って以来これが初めてであり、これが1982年5月28日のヨハネ・パウロ2世のイギリス訪問とローマ・カトリックとイギリス国教会との和解への布石となる(ただし、1960年にカンタベリー大主教がバチカンを訪問したことはある)[40]。, 1997年8月31日、義理娘であったダイアナ元王太子妃がフランスのパリで交通事故により36歳で死去した際(英語版)、義母であった女王自身の意思の下でのイギリス王室の冷ややかな対応が批判を浴び、同年9月5日にテレビ放送を通じて哀悼のメッセージを送り、長男チャールズ王太子との離婚以降、英王室から敬遠されていたダイアナ元王太子妃の名誉回復を行い、王室の信頼回復に努めた。, 自身の在位半世紀を迎えた2002年には、2月9日の妹マーガレットの逝去(71歳没)、3月30日の母エリザベス王太后の崩御(101歳没)と、同一年に肉親との死別が2回も続いた。, 2010年、ウィンブルドン選手権4日目(6月24日)には、1977年以来33年ぶりに、大会を観戦した[41]。, 2010年12月29日、長女(第2子)アン王女の長男ピーター・フィリップスに、自身の初曾孫にあたる女児サバンナ・フィリップスが誕生し、曾祖母となった。, 2011年5月17日、1911年の祖父ジョージ5世による訪問以来、100年ぶりにイギリスの君主としてアイルランド共和国を公式訪問している[42]。1911年当時はイギリスの植民地(グレートブリテン及びアイルランド連合王国の一部)であったため、独立後としては初の訪問である。, 2016年に90歳を迎え、高齢のため公務の一部を徐々に自身の長男であるチャールズ王太子に引き継ぐようにはなっているものの、現在も精力的に公務を行っている。2017年8月2日に当時96歳となった夫のフィリップ王配が単独の公務から引退したが、エリザベス2世女王自身は引退する意向はなく、今後も当分は公務を継続するとされている[43]。同年11月20日に成婚70周年を迎え、これは60周年の時と同様、イギリスの君主として初である[44]。, エリザベス2世は、イギリスを含め16の国家の女王・元首であり、それぞれの国で異なる正式称号を所有している。そのうち、イギリスにおける正式称号は以下のものである。, 「信仰の擁護者」は、元来はマルティン・ルターに反対したヘンリー8世に対し、ローマ教皇レオ10世から授与された称号である。1534年の国王至上法によりイングランド国教会首長の称号となった。「レルム(英:Realms)」には君主国という意味があるが、ここでは英連邦王国を指す。領域は王室属領および海外領土を指す。また「コモンウェルス(英:Commonwealth)」には複数の意味があるが、ここでは「イギリス連邦」を指す。, イギリスの君主は王冠と統合された爵位の潜在的な保持者である。現在でも「ランカスター公領」を相続し、イギリスの内閣にはランカスター公領大臣が存在する。このため関連する行事等でランカスター公という呼称が用いられることもある。, イギリス連邦においては独自の君主を有する国や共和国もあるが、エリザベス2世は「コモンウェルスの長」とされている。この称号は元首としての意味は持たないが、統合の象徴となっている。, エリザベス2世は、イギリス連邦に加盟する諸国のうち、彼女を元首とする国の元首であり、国王となる。正式称号はイギリスにおける正式称号と国名が異なる程度であるが、「信仰の擁護者」についてはカナダとニュージーランドのみが採用している。, 英連邦王国を構成する国は、それぞれ独自の意見を持っている主権国家であり、ときにはそれらの国が政治・経済問題で対立することもある。エリザベス2世はこの場合対立する2つの君主であるという立場になる。ただし、いずれの国も立憲君主制国家であり、当該国の国法に定められた当該国の政治的手続きに従う必要があるため、エリザベス2世自身の政治的判断が求められることはない。, 実際にイギリス以外の国の元首として公務に携わることもある。その国に滞在している場合は本人が直接行動する場合が多いが、直接本人が行動できない場合は代理人を通じて行動することもある。公務中の地位については、カナダの公務の場合はカナダ女王、オーストラリアの公務の場合はオーストラリア女王、パプアニューギニアの公務の場合はパプアニューギニア女王というように、対象国に合わせて変動する。, このような女王の公務のあり方の実例として、過去の近代オリンピックの開会宣言を挙げることができる。近代オリンピックの開会宣言はオリンピック憲章によって「開催国の国家元首がこれを行う」と定められている。, エリザベス2世女王を国家元首に戴くイギリス連邦諸国の中では、下表の通りカナダとオーストラリアとイギリスで計6回のオリンピックが、その在位中に開催されている。うち、女王の名において行われた開会宣言は計3回あり、本人が直接開会宣言を行ったのは2回、女王の王配フィリップが女王の名代(代理人)として開会を宣言したのが1回を数え、イギリス女王、カナダ女王、オーストラリア女王の称号が用いられている。その他の大会は、事実上の国家元首である総督が自らの名のもとに開会を宣言している。, また、イギリス軍、カナダ軍、ニュージーランド軍においての各国軍隊の最高司令官であり(ただしあくまで名目上。実質上最高司令権を有するのは、政府の長たる首相)、英連邦諸国における複数の軍隊の名誉連隊長位を所持する。, イギリスの王室属領は、イギリス諸島内にあるがイギリス政府の統治権下にはなく、イギリスの君主が保持する別の主権によって統治されている。マン島においては「マン島領主(英語版)たる女王(Queen, Lord of Man)」[46]と呼ばれている。チャンネル諸島(ジャージー、ガーンジー)においては「ノルマンディー公たる女王(Duck of Normandy,Our Queen)」となる[47]。, 近代競馬発祥の地であるイギリスにおいては、競馬を庇護・発展させる君主がしばしば現れている。エリザベス2世も競馬の熱心なパトロンである。イギリス史上初めて、スポーツ団体に勅許を与えてジョッキークラブの決定に法的基盤を付与したのはエリザベス2世である[48]。この結果、200年以上にわたって「先例」でしかなかったジョッキークラブの裁定には法的な根拠が認められることになり、権威と権限が大幅に強化されることになった[48]。また、ニューマーケットに英国国立牧場を移したのもエリザベス2世である[48]。, エリザベス2世は馬主・生産者として大きな成功を収めている[49]。両親の名を冠したキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの優勝馬オリオールのほか、4頭のクラシック競走優勝馬など、所有馬には数々のステークス優勝馬がいる(詳細)。, 1954年と1957年にはイギリスのリーディングオーナー(所有馬の獲得賞金額首位)となった。在位中にこのタイトルを複数回獲得した君主は史上にエリザベス2世のみである[50]。所有馬に騎乗する騎手が着用する勝負服は、紫色の胴部に金ボタンと刺繍をあしらい、袖色は赤。帽子は黒のベルベット地、頭頂部に金モールをあしらったものを使用している。, イギリスにおける牡馬・牝馬のクラシック競走のうち、ダービーステークスのみ所有馬の優勝がない。2011年には所有馬のカールトンハウスが1番人気となり、85歳にして初のダービー優勝馬所有なるかと競馬界を超えて広くイギリス社会の注目を集めた。女王自身もエプソム競馬場でレースを天覧したが、落鉄のアクシデントなどもあり3着に終わった。, 2013年6月、英王室自ら開催するロイヤルアスコット開催において、所有馬のエスティメイトがゴールドカップに優勝し36年ぶりにGIを制覇した。, ロイヤルアスコット開催時には、毎年宮殿から馬車でアスコット競馬場へ向かうのが慣例である。ロイヤルアスコット開催のレースにおける優勝馬の関係者は、エリザベス2世などが出席するイギリス王室主催の茶会に招かれる。, イギリスの「クイーンエリザベス2世ステークス」、アメリカ合衆国の「クイーンエリザベス2世チャレンジカップステークス」、日本の「エリザベス女王杯」、イギリスの植民地であった香港の「クイーンエリザベス2世カップ」など、エリザベス2世の名を冠した競走が世界各地に存在している。, 夫のエディンバラ公爵フィリップ王配との間には、3男1女を出産し4人の子女がいる。王位継承順位は2020年1月1日現在。, 2017年11月6日、エリザベス2世英女王の個人資産のうち約15億円がタックス・ヘイヴン(租税回避地)で運用されていたことが明らかになった。, 規制当局に処罰されたり、税金滞納で破産申請したりしたバミューダ諸島やケイマン諸島の企業が含まれていた[64]。, 2006年のイギリス映画『クィーン』では、エリザベス2世女王をヘレン・ミレン(日本語吹替版:倉野章子)が演じた。, 2010年のイギリス映画『英国王のスピーチ』では、幼少期のエリザベス王女を子役のフレイア・ウィルソン(日本語吹替版:山根舞)が演じた。, 2015年のイギリス映画『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』では、サラ・ガドン(日本語吹替版:下山田綾華)がエリザベス王女役を演じた。, 2016年のアメリカ合衆国のファンタジー映画『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(原作者はイギリス児童文学作家ロアルド・ダール、監督:スティーヴン・スピルバーグ)では、ペネロープ・ウィルトン(日本語吹替版:鈴木弘子)がイギリス女王エリザベス2世役を演じた。, 2019年のベルギーのアニメーション映画『ロイヤルコーギー レックスの大冒険』は、女王の愛犬ロイヤルコーギーをモデルとしている。, Netflix配信テレビドラマシリーズ『ザ・クラウン』(原作・脚本:ピーター・モーガン、英米合同製作)では、クレア・フォイ(シーズン1:2016年、シリーズ2:2017年、日本語吹替版:渋谷はるか)、オリヴィア・コールマン(シーズン3:2019年、シリーズ4:2020年配信予定)がエリザベス2世女王役を演じている。シーズン5とシーズン6(配信時期未定)では、イメルダ・スタウントンが演じる予定。, 「私は、私の全生涯を、たとえそれが長かろうと短かろうと、あなた方と我々の全てが属するところの偉大な、威厳ある国家に捧げる決意であることを、あなた方の前に宣言いたします。」.



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