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ロッテ・和田、陸上部出身“異色の新スピードスター”盗塁の3つの極意 ... 81年には34盗塁で盗塁王も半分の17盗塁を代走で出場した試合で記録。

Sponichi Annexに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての著作権はスポーツニッポン新聞社と情報提供者に帰属します。.  50メートル5秒8で駆け抜ける俊足は「スライディングした時に尻に土がついていなければいいかな」とも言う。左利きらしく、スライディングも左足を伸ばして右足を畳む。「土がつくのは足だけ。尻に土がつくと摩擦で遅くなる。なるべくベースの近くで。(左足を)引きながら滑るのではなく、伸ばしてバンという感じ」と独自の理論を明かす。  リードでは右足の先を二塁方向へ最初から向けている。そこから右足を引くようにして左足を出す。「西川さんの足の入れ替えが速い。昨年は、いろいろ試したけれど、これが一番うまくいった」。盗塁王3度の日本ハム・西川の動画を見て学んだ。  今年5月まで育成選手だったが、6月1日に支配下選手となり、6月2日から開幕まで行われた1軍の練習試合で12球団ダントツの7盗塁をマークした。「1位はうれしかったけれど、まだ自信はついてない。1軍はけん制も速いし、捕手もベースのギリギリに投げてくる」。目標は30盗塁だ。代走中心で、警戒される中でかいくぐる。「そんなに甘くないのは分かっていますけれど…」と話すが、盗塁数とともに自信も積み上げる。 All Right Reserved. All Rights Reserved. Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS.  ☆鈴木尚広(巨人)代走で131盗塁はプロ野球記録。通算228盗塁。成功率.829は200盗塁以上の巨人の選手で歴代1位。  ≪井口監督も認める「終盤の切り札」≫現在チームは9勝6敗の2位。開幕から井口監督は「今年のうちは終盤に追い付くことができる」と繰り返す。その根拠が和田だ。接戦ならば、とっておきの切り札を代走で起用し盗塁で一気にチャンスをつくる。  ☆藤瀬史朗(近鉄)79年の代走→25盗塁はプロ野球記録。通算117盗塁のうち105盗塁を代走でマーク。(成功率.807) 1998年の千葉ロッテマリーンズ(1998ねんのちばロッテマリーンズ)では、1998年の千葉ロッテマリーンズにおける動向をまとめる。.  6月19日のソフトバンクとの開幕戦では、9回に和田の二盗から同点。同23日のオリックス戦では一塁走者・和田に警戒した相手バッテリーがミスを犯し、サヨナラ勝ち。一方で首位攻防となった楽天6連戦では和田を代走に送る展開に持ち込めず1勝5敗。指揮官は「(和田を代走で使う)チャンスもなかった」と悔しがった。

 【尻が汚れないスライディング】成功の鍵は「尻を汚さない」だ。和田は二塁ベースを突き刺すようなスライディングを心掛ける。「なるべく強く、ベースに近くでと考えています」。時には、その勢い余って二塁を越えそうになるほどだ。  【日本ハム・西川に学んだ足の入れ替え】二盗成功の可否はスタートが大きく左右する。ポイントについて、和田は「どれだけ速く二塁方向に体を向けられるか。(蛇行しないように)ベースの正面に入って走る。あとは、なるべく起き上がらないことを意識しています」と挙げる。  ◆和田 康士朗(わだ・こうしろう)1999年(平11)1月14日生まれ、埼玉県東松山市出身の21歳。小4から野球を始め、東松山北中では野球部。小川高時代は野球部には入らず都幾川倶楽部硬式野球団でプレー。卒業後はBC・富山に入団し、17年育成ドラフト1位でロッテ入団。今年6月1日に支配下登録された。豪快なスイングから愛称は「和ギータ」。1メートル85、77キロ。左投げ左打ち。 年度: 選手名: ポジション: 背番号情報: 選手名情報: その他備考: 1969: 西 三雄: コーチ: 16から変更 1970: 西 三雄: コーチ  1メートル85の長身で足も長い。一塁走者としてならば、リードの歩数は5歩半をベースにする。「投手のけん制の速さを確認してリードの大きさを変える。ある程度取らないと盗塁を狙ってもセーフにならない。ギリギリのところを攻めるようにしています」。アンツーカーの広さは球場によって異なる。「ペイペイドームならば両足が芝から出たい。ZOZOマリンはアンツーカーが広いので片足ぐらい。リードは普通の人より少し大きいぐらいかな」と分析する。 プレーオフではロッテ有利の声が上がったが、日本ハムに1勝3敗1分で敗退し2年連続でパ・リーグ優勝の夢は潰えた。シーズン終了後、山内監督はv逸の責任をとり辞任した。  ☆青木実(ヤクルト)558試合中236試合が代走出場。81年には34盗塁で盗塁王も半分の17盗塁を代走で出場した試合で記録。通算79盗塁(成功率.712) アーカイブス2020年11月号は「田中将大 伝説の24連勝、楽天 球団初の日本一」.  【盗塁成功率7割超えズラリ…球界の「代走屋」列伝】 プロ3年目で育成から支配下登録されたロッテ・和田康士朗外野手(21)が「代走のスペシャリスト」としてブレーク中だ。6月2日から行われた練習試合では12球団ダントツの7盗塁をマークし、開幕後も4盗塁に成功。井口資仁監督(45)も切り札に挙げる。埼玉・小川時代には陸上部に所属した「異色のスピードスター」の盗塁の極意に迫った。(横市 勇), 【けん制の速さで変わるリード】常に限界を探る。開幕から15試合を消化し、和田は7試合に出場した。代走起用は5度で4盗塁。「けん制では絶対にアウトになれない」と力を込める。同点、または勝ち越しを狙った大事な代走として起用されるからだ。 1980年のロッテオリオンズ(1980ねんのロッテオリオンズ)では、1980年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。.  ☆今井譲二(広島)通算263試合に出場しながら打席数はわずか31。主に代走で84、86年に2桁盗塁。通算62盗塁(成功率.747)  2軍での2年間は18年が6盗塁(失敗7)19年は23盗塁(同8)。伊志嶺走塁兼打撃コーチ補佐は「経験を積めば盗塁王も獲れる。この先は自分次第」と成長を期待した。  和田が高校で陸上部に入ったことは有名だ。走り幅跳びが専門だったが、短距離の練習が生きる。「僕はスタートを切って、捕手に球が収まるぐらいに打者が打っていないか一度確認する。それまではずっと下を向いています」。上体が起き上がるのを抑えて、トップスピードに乗せる。その動作は「(陸上で学んだ)スタートした時の低い姿勢が生きているかもしれない」と説明する。異色の経歴を誇る和田だからこそ可能にしている。

 右投手よりも左投手の方がリードは大きいこともある。「(けん制の)タイム的には左投手の方が遅いので」。一般的に二盗を仕掛けるのが難しいとされるサウスポーにも、和田はリードからプレッシャーをかけられる。 1980年のロッテオリオンズ(1980ねんのロッテオリオンズ)では、1980年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。, 前年4位で終了したチームは巨人から金銭トレードで張本勲を獲得し、打線を強化。張本の加入などで層が厚くなったチームは前期は近鉄や日本ハムといったライバルチームを振り切り、前期を優勝。後期からは後の三冠王・落合博満がレギュラーに入るなど明るい話題もあったが後期は近鉄・日本ハム・西武との大激戦の末、3位で終了。プレーオフでは西本幸雄監督率いる後期優勝の近鉄との対決となり、下馬評では互角と言われたが連覇に燃える近鉄の勢いに押されて3連敗。6年ぶりのパ・リーグ優勝はならなかった(その後優勝するのは千葉マリンスタジアムに本拠地を移転後の2005年まで25年間待たなければならなかった)。, 毎日新聞1980年1月6日15面「『巨人は間違っている』移籍の張本」毎日新聞縮刷版1980年1月p161, 読売新聞1980年5月29日17面「張本、史上初の3,000安打 22年目、アーチで飾る 阪急・山口から右翼上段」読売新聞縮刷版1980年5月p1071, 読売新聞1980年9月29日17面「張本また勲章500本塁打」読売新聞縮刷版1980年9月p1097, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=1980年のロッテオリオンズ&oldid=77178039. Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS.  ☆周東佑京(ソフトバンク)育成出身。支配下登録された19年に代走で15盗塁。侍ジャパンにも選出された。通算25盗塁(成功率.833), 中日・与田監督「完全に僕のミス」 延長サヨナラ機で苦肉の「代打投手・三ツ間」、空振り三振で試合終了, ヤクルト・寺島 4年目でうれしいプロ初勝利 今季6試合でまだ自責点0「とにかく本当に必死」, ロッテ・先発有吉、6回2失点で今季初勝利!「僕が勝てたことよりチームが勝てたことが嬉しかった」, ソフトバンク・柳田 2ラン&決勝打で千賀初勝利に貢献「何とかしたいと思った」、指揮官も「さすが」, ソフトBラッキー7のロボットコラボ応援に反響「宇宙史上初」「面白すぎ」「お客さん入れてもやって」, ソフトバンク 競り勝って5割復帰へあと1、千賀今季初勝利 柳田2ランにV打 楽天は3連勝でストップ, マリンの強風に流され…西武・鈴木 珍しい「ライト前スリーベース」 打たれた有吉も苦笑い, 巨人・戸郷は11日ヤクルト戦先発へ 宮本コーチ「調子いいときに休ませる勇気も必要」, 巨人・ビエイラ、制球力修正で1軍合流「阿部2軍監督、杉内2軍投手コーチの指導のおかげ」, DeNA 浜口は8日スライド、高城とバッテリー 指揮官「浜口のことは高城が一番理解している」, 【内田雅也の追球】甲子園が待っている ようやく本拠地開幕 阪神園芸「ほぼ最高の状態」, 西武・森&外崎 七夕に3連覇への願い込め本音クロストーク!同一カード6連戦「しんどいっす」, 赤星憲広氏 “幕張の新スピードスター”和田を分析 一級品の「3歩目までにトップスピード」, 巨人・会田コーチに消防総監感謝状 6月に駅構内で男性救助「救命措置ができ、うれしく思っている」, 阪神・ボーア 甲子園でリベンジG倒だ!開幕3連戦は12打数無安打「今回は勝ちたいね」, “防御率隠れ1位”阪神・青柳 宿敵・巨人迎え撃つ「チームがいい状況、流れに乗れたら」, 広島・森下 連敗ストップに意欲 カード初戦に抜てきも佐々岡監督「完投能力あるのでいける」, エンゼルス・大谷 8日に674日ぶり実戦登板 コロナ対策、豪華スイートルームから出陣, ヤンキース・田中 軽度の脳振とうと診断 打球頭部直撃から一夜、ブーン監督「元気に見えた」, 記者が見た現役続行の日本ハム・斎藤佑樹投手の葛藤 11年目へリハビリ後の変身を見たい. この年のロッテオリオンズは、山内一弘監督の2年目のシーズンである。 1998年の千葉ロッテマリーンズ(1998ねんのちばロッテマリーンズ)では、1998年の千葉ロッテマリーンズにおける動向をまとめる。, 1998年の千葉ロッテマリーンズは、近藤昭仁監督の2年目のシーズンであり、プロ野球史上最長の18連敗を喫したシーズンとして知られている。, 4月は小宮山悟が4勝・黒木知宏が3勝を挙げ、11勝5敗と貯金を6つ作る上々のスタートを切った。しかし、前年から離脱している成本年秀に加えて、ストッパー・河本育之が4月下旬に怪我で離脱、前年セットアッパーとして活躍した吉田篤史も一軍戦線から離脱してしまい、新加入のスコット・デービソンも故障が発覚し解雇されるなど中継ぎ投手陣が手薄となると、5月を大きく負け越した。河本離脱後、ストッパーを固定できない日々が続き、6月13日のオリックス戦、小宮山が5回途中5失点の大乱調でこの試合を落とすと、ここからチームは長いトンネルに突入して行く。5連敗で迎えた20日日本ハム戦では、前日19日の近鉄戦に先発、6回2失点で敗戦投手となっていた黒木をストッパーに転向させたが、このカードで登板した2試合全てで救援に失敗[2]。, さらに2試合後の西武戦でも決勝点を与え、連敗がチーム20年ぶりに10まで伸びたところで近藤監督はストッパー・黒木に見切りをつけ、ようやく緊急補強としてブライアン・ウォーレンの加入が決まった。30日の西武戦は延長戦の末引き分けには持ち込んだが連敗は止まらず、14連敗で迎えた7月4日のダイエー戦の前には千葉神社の宮司によってお祓いが執り行われたが、5時間9分の熱闘の末敗戦[3]。5日の同カードにも敗れ、当時のプロ野球タイ記録(1970年のヤクルトが記録、2016年現在もセ・リーグ記録。パ・リーグ記録は1955年の大映ユニオンズ、1969年の南海ホークス、1978年のロッテの15連敗)に並ぶ16連敗となったが、それでも試合後には200人のファンが選手出入り口に集い1時間チームのために声援を送り、それを聞いた近藤監督は一人涙した[4]。, そして、のちに「七夕の悲劇」として語り継がれることとなる7日のオリックス戦を迎える。この試合はパ・リーグの当時5位と6位の対戦であったが、フジテレビ系列で生中継されるほどの注目を集めた[5]。黒木が先発に復帰し力投したが、当日の神戸市の高温多湿の天候から試合中に脱水症状に見舞われる。しかし前述の通り苦しいロッテの台所事情もあり、黒木は症状を明かさないまま投げ続けた。2点リードを保ったまま9回裏2死一塁の勝利目前まで漕ぎ着けたが、ハービー・プリアムに左翼ポール際に同点2ランホームランを打たれて追いつかれる。黒木はマウンドに膝から崩れ落ち、ナインが集まっても立ち上がることはできなかった[6][7]。その後延長12回裏、3番手・近藤芳久が広永益隆にサヨナラ満塁本塁打を打たれ、プロ野球記録を更新する17連敗目を喫した[8]。, 結局この連敗が止まったのはその2試合後の9日に行われた同カード(この試合もTBS系列で生中継され、中継後には連敗を脱出した旨テロップが報じられた)で、小宮山が被安打14・6失点しながらも完投し、9-6で勝利を収めた。連敗は18で止まり、皮肉にも小宮山から始まり小宮山で終わった[3]。その後河本らが1軍に復帰するとチーム状態は好転した。18連敗後には貯金を10個積み重ねたが、連敗が重くのしかかり最下位のままでシーズンを終えた。チーム成績の責任を取り、近藤監督はこのシーズンをもって退任した。連敗中苦しんだ黒木は自身初のオールスターゲーム出場、最多勝、最高勝率、防御率リーグ2位と気を吐いた。, ヤクルト16連敗で注目浴びたロッテ18連敗の証言「このまま永久に続くんじゃないかと…」, 【7月7日】1998年(平10) あと1球が悲劇に…ジョニーが泣き崩れた日本新記録, 【7月9日】1998年(平10) ロッテ18連敗止まる 近藤昭仁監督「これから20連勝や」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=1998年の千葉ロッテマリーンズ&oldid=77026955.

1998年の千葉ロッテマリーンズは、近藤昭仁監督の2年目のシーズンであり、プロ野球史上最長の18連敗を喫したシーズンとして知られている。



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