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6(捕)城島健司 遊撃 川崎宗則 二塁 井口資仁 今回はそんな巨人の時代を超えた歴代ベストナインおよびベストオーダーを考察し、夢の最強スタメンを組んでみました。 組んでみて妄想するだけで震えました笑 クリーンナップが全て国民栄誉賞という他球団には真似できない夢のオーダーを是非ご堪能ください。 9(左)中村晃, 「日本の野球はしっかりしている」 元U-23代表が頂点を極めた舞台で感じた強み(侍ジャパン応援特設サイトへ). 1(中)柳田悠岐 6(一)福浦和也 日本通運「侍ジャパン」応援サイトでもFull-Countスペシャル記事を配信中!! 2(遊)川崎宗則 歴代ベストナイン・最強チーム (16) 読売ジャイアンツ (1) 東京ヤクルトスワローズ (1) 東北楽天ゴールデンイーグルス (1) 中日ドラゴンズ (1) 埼玉西武ライオンズ (1) 横浜DeNAベイスターズ (1) 右翼 サブロー 7(指)門田博光 3(左)レロン・リー 遊撃 小坂誠 2(遊)小坂誠 救援 デニス・サファテ 開幕延期で「野球ロス」になっているファンの方々に少しでも心の隙間を埋めていただきたく、Full-Count編集部では“夢のベストナイン”選考をツイッターにて限定アンケートで実施。 ニュース/コラム 2020.04.13; ファンが選ぶ最強“ホークス”ベストナインは? 柳田、小久保、松中…夢のオーダーが完成. 二塁 落合博満 ファンが選ぶロッテ歴代ベストナイン 世界一捕手にマサカリ投法、幕張の安打製造機も. ストレート:Sコントロール:C 変化球:A スタミナ:A ・日本史上最速の165kmのストレートを持つ怪物 ・投手としてだけでなく、野手としても出場する”二刀流” ・投手としても野手としても超一流の能力を持つ、イチロー以来のスーパースター ・ベーブ・ルース以来の10勝、10本塁打を記録した 4(二)落合博満 DH 門田博光, 【打順を勝手に組んでみた】 救援 小林雅英 この記事へのトラックバック一覧です: 敗戦処理。的ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.7: 敗戦処理。は昨年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから四十年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした, そして敗戦処理。は今年の生観戦で生観戦歴四十周年となった。NPBは今年を“プロ野球, ●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。, オリオンズからマリーンズと連なるこのチームはいろいろな意味で不思議なチームだ。遡れば毎日オリオンズから連なるこのチームは球団創立以来昨年までの通算成績が, ただ、この頃からパ・リーグもライオンズとホークスの二強時代からファイターズなどその年の好調チームが割って入る様になり、マリーンズもAクラスというレベルなら, その日本一を経験した金田、バレンタイン、西村の三監督を比較すると、金田も二期の監督成績を合計すると勝率が, それでは一通り選び終わったところで、敗戦処理。が選ぶマイセレクトベストナインでオーダーを組んでみる。, リーグ優勝するスワローズのしたたかさに脱帽した試合【回想】敗戦処理。生観戦録-第42回 2015年(平成27年)編, 敗戦処理。的ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.7, 一匹狼江夏豊、たった一人の引退式-【回想】敗戦処理。生観戦録-第12回 1985年(昭和60年)編, 1990年代第1号の本塁打を放ったのはまさに当時最強チームのこの男-【回想】敗戦処理。生観戦録-第17回 1990年(平成2年)編, 韓国がプレミア12初代王者&日本は3位などの件などをからめ、大前研一「低欲望社会」, 侍ジャパン、プレミア12準決勝で韓国に逆転負けの件を前振りに、「従軍慰安婦と靖国神社~一言語学者の随想」, NPB、野球賭博の巨人3選手失格処分や2015年度三井ゴールデン・グラブ賞受賞者発表の件を前振りに、11/2 東京モーターショーとららぽーと海老名に行って来ました【行程編】, ついに「『読売ジャイアンツで年間最優秀選手』の人からジャイアンツ監督に就任」の連続記録が途切れるか?, 黒田博樹投手カープに復帰の件を前振りに、「プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!」, 7/19 マツダオールスターゲーム2014・第2戦【全パ12-6全セ(甲子園)】~162キロを投げる大谷くんは凄いけど…+J1第15節の件など【追記あり】, 6/27 サッカーブラジルW杯決勝トーナメント出場全チーム決定&プロ野球リーグ戦再開など, 5月26日のセ・パ交流戦の件を前振りに、@yonda4 434402429X[医者が患者に教えない 病気の真実], 交流戦のDH制の件を前振りに、5月16日のプロ野球とJリーグ(ACL&ナビスコ)の件. 監督 バレンタイン, 【打順を勝手に組んでみた】 開幕延期で「野球ロス」になっているファンの方々に少しでも心の隙間を埋めていただきたく、Full-Count編集部では“夢のベストナイン”選考をツイッターにて限定アンケートで実施。第5回はソフトバンク編。斉藤和巳氏や城島健司氏など1990年代後半から2000年代前半を支えた名選手たちが数多く選ばれた。, 【PR】スランプ時には映像で確認 “広角打法”篠塚和典氏が語るDAZN(ダゾーン)活用法, 編集部の独断で各ポジションでノミネート選手を4人選出。候補選手を挙げるだけでも難航したが、全体で最も得票率が高かったのは一塁手部門の松中信彦氏で1750票のうち84%の1470票を集めた。首位打者2回、本塁打王2回、打点王3回、平成唯一の三冠王としての実績はやはり伊達ではなかった。, 先発投手部門では斉藤和巳氏が、工藤公康現監督や和田毅投手に大差をつけて選出。救援投手では“キング・オブ・クローザー”として愛されるデニス・サファテ投手がトップだった。捕手部門では野村克也氏を抑えて城島健司現会長付き特別アドバイザーが、二塁手部門では井口資仁現ロッテ監督、三塁手部門では小久保裕紀氏、遊撃手部門は川崎宗則氏と、名プレーヤーたちの名前が並んだ。, 外野手は現役選手たちが固めた。左翼手部門は中村晃外野手、中堅手部門は柳田悠岐外野手、右翼手には長谷川勇也氏が選出。特に右翼手部門では柴原洋氏や佐々木誠氏らと大混戦となった。指名打者では門田博光氏が選ばれ、豪華なメンバーとなっている。, 【夢のベストナイン】 野手ベストナイン 1番:西岡剛(遊撃手) 通算成績=.284・1241安打・403打点・198盗塁 キャリアハイ・=2010年 .346 ・ 206安打 ・11本塁打・59打点・22盗塁 ロッテ時代に野球選手らしからぬ甘いマスクとその俊足で女性ファンを魅了した “スピードスター” 西岡選手。 2010年の安打記録はス … 中堅 荻野貴司 左翼 レロン・リー ニュース/コラム 2020.04.07 5(一)松中信彦 右翼 長谷川勇也 DH デスパイネ | 「迷走の巨人」…四番打者キューバの至宝に代打起用 », 毎月2日、昨年2月にスタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載しています。今月はマイセレクトベストナインの第7弾。敗戦処理。は昨年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから四十年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした1974年(昭和49年)以降、即ちリアルタイムに見た時代のベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでみることにした。, 1974年という年はジャイアンツの連続優勝がV9で止まった年であり、セーブが記録として制定された年である。そして日本ハムが日拓ホームから球団を買収し、ファイターズがスタートした年である。翌年にはパ・リーグで指名打者制が採用されるなど、大きな節目の時期でもある。そして敗戦処理。は今年の生観戦で生観戦歴四十周年となった。NPBは今年を“プロ野球80周年”と称している。日本のプロ野球の約半分を網羅していることになる。なお、先月10日に初めて雁の巣球場での生観戦を果たしたが、「生」観戦した野球場(65)-雁の巣球場は7月2日に掲載し、敗戦処理。が観戦したプロ野球2010年編は9月2日以降の掲載とします。マイセレクトリアルタイムベストナインVol.7-ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ, 今回も最初に定義を説明しておこう。●調査期間は敗戦処理。が初めてプロ野球を生観戦した1974年(昭和49年)から執筆時期(公式戦完了済みシーズン)まで。したがって1973年(昭和48年)までの成績は含まない。●親会社の変更は同一球団と見なす。●期間内でも他球団に在籍していた期間の成績は含まない。●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。●外国人枠は設けない。●同一人物の選手と監督との重複選出、複数球団での選出は可。●ベストメンバー9人(パ・リーグは10人)を含む一軍28人と監督を選ぶ。●この定義は適宜変更される事もあるかもしれない。※1973年(昭和48年)までの成績、記録を含めないのは過去を軽視しているのではなく、自分がリアルタイムに観ていない選手達を記録だけで比較する事がかえって非礼にあたると考えたからである。ある意味、自分史のまとめである。オリオンズからマリーンズと連なるこのチームはいろいろな意味で不思議なチームだ。遡れば毎日オリオンズから連なるこのチームは球団創立以来昨年までの通算成績が4144勝4072敗356引き分けで勝率が.504と通算で勝ち越しているのだ。本企画の対象初年度の1974年に金田正一監督の元で日本一になっているが、次に日本シリーズに優勝するのが「ボビー・マジック」が炸裂した2005年だから、三十年間優勝から遠ざかっていたことになる。しかもその間、山内一弘監督の時代に1980年、1981年と当時のパ・リーグの二シーズン制で連続して前期優勝を果たす(ともにプレーオフで敗退)など好成績の年もあったが三十年間でAクラスに入ったのは7回だけと低迷していた。それでも通算勝率が五割を割ることがなかったのはひとえに本企画対象以前の年度にたんまり貯金を重ねていたと言うことだ。金田監督の後任の山内監督の時代には当時の二シーズン制のパ・リーグにおいて1980年、1981年にそれぞれ前期優勝を果たすがプレーオフで日本シリーズ進出を逃していた。その後稲尾和久監督でAクラスになってからに移す前の川崎球場時代にはスタンドに閑古鳥が鳴き、様々な伝説が作られた。1992年に本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムに移転したことが大きな転換期になったことは間違いないが、移転してすぐに結果が出たわけではない。二度目の監督就任だった金田監督は成績低迷だけでなく審判団への蛮行なども問題視され、移転を機にチームカラーを一新したい意向もあったのだろう。八木沢荘六を監督に迎えたが最下位、5位、5位と低迷。1995年に広岡達朗GM、ボビー・バレンタイン監督体制で2位になるが、これが10年ぶりのAクラス。ただ広岡、バレンタイン体制も一年で空中分解。翌1996年に江尻亮を新監督に迎えてBクラスに落ちると、広岡GMまで退任。再びバレンタインが監督に就任してリーグ優勝する2005年まで9年連続でBクラスに低迷した。この期間が球団最大の暗黒時代といえよう。ただ、この頃からパ・リーグもライオンズとホークスの二強時代からファイターズなどその年の好調チームが割って入る様になり、マリーンズもAクラスというレベルなら2007年、2010年、2013年と落ちてはすぐ上がりという感じになってきた。2010年にはシーズン最終戦で3位を確保して臨んだクライマックスシリーズで日本シリーズ進出軒を勝ち取り、日本シリーズではセ・リーグの覇者ドラゴンズを破って日本一になった。当企画の対象期間で1974年、2005年、2010年と3度の日本一はライオンズ(10回)、ジャイアンツ(7回)、スワローズ、バファローズ(各4回)に次ぎ、カープ、ホークスと並ぶ5位タイだ。【投手】, このチームの大エース、村田兆治は対象初年度の1974年には既に金田監督の絶大の信頼を得ていた。パ・リーグの最優秀選手こそ金田監督の実弟でもある金田留広が受賞したが、村田も大車輪の活躍をした。通算215勝のうち、1974年以降に181勝を挙げている。エースの勲章の一つである20勝以上を1976年に記録しているが、他に15勝以上が、肘の故障から奇跡の復活で「サンデー兆治」の異名を取った1985年の17勝を含め4度。このチームで1985年の村田以後、シーズンに17勝以上した投手はいない。最も近いのが2007年の成瀬善久の16勝で他に15勝を挙げたのが1995年の伊良部秀輝、2003年の清水直行、2005年の渡辺俊介だけ。黒木知宏は1999年の14勝が自己最多だ。対象期間中に100勝以上挙げたのが村田以外に110勝の仁科時成と水谷則博しかいないということもあり、ベストナインの投手部門は村田兆治とする。【捕手】オリオンズ~マリーンズと連なるこの四十年間で長く正捕手を務めた選手は法政大学で江川卓の球を受け、プロ入り後は村田兆治と名コンビだった袴田英利と現役の里崎智也の二択だろう。1978年の入団で村田と同じく1990年限りで引退するまで実働13年間で911試合に出場した袴田に対して、2000年から昨年まで実働期間で袴田より一年長い14年間の里崎が既に1000試合出場を越えて1072試合出場。橋本将と併用されていた時期もあったが長く扇の要を担っている点を評価してベストナインの捕手部門は里崎智也とする。続いては内野手だが、まずは三冠王3度の落合博満を内野のどのポジションにするかを定める。落合が在籍した1979年から1986年までの8年間の守備位置別出場数を調べると、一塁手として209試合、二塁手として239試合、三塁手として404試合。予想通り三塁手としての出場が最も多かった。デビューが二塁手だったが二塁手としての出場が一塁手としての出場数を上回っているのが意外だった。若い頃の落合は身体がよく動いたのだろう。落合の8年間の成績は三塁手部門で選考の対象とする。【一塁手】現役の福浦和也が正一塁手の座を射止めて長い。昨年までで通算安打数も1839本に達している。他に長く一塁手として出ていた選手というと愛甲猛、レオン。愛甲の通算1253試合出場、1068安打も立派な数字には違いないが福浦とは比べものにならない。レオンも兄のリーに比べれば在籍期間が短いこともあり、通算本塁打130本で福浦と愛甲を上回り、五年間で打率.309の安定感も捨てがたいが、ここは福浦に敬意を表し、ベストナインの一塁手は福浦和也とする。【二塁手】名球会入りしている山崎裕之は1978年を最後にライオンズに移籍してしまったため対象時期では五年間のみの在籍と短く実績に乏しい。期間中でチーム全選手中最多の2064試合に出場した堀幸一の独壇場だろう。ベストナインの二塁手は堀幸一とする。【三塁手】福浦、堀の選考過程から考えると、1974年以降に限定しても、1448試合、226本塁打、1396安打の「ミスターロッテ」有藤道世、有藤を上回る1732試合に出場して1525安打、232本塁打の「幕張のファンタジスタ」こと初芝清、そして現役で昨年まで1194試合、1184安打、84本塁打の今江敏晃から選ぶのが筋だが、前述した三冠王3回の落合博満をこのポジションで選考する以上、無視するわけにはいかない。三ポジションにまたがる9年間の落合の成績は849試合、954安打、954安打、242本塁打で打率が.332。圧巻という他ない。242本塁打は在籍期間の長い有藤、初芝、堀を上回り、レロン・リーに次ぐ期間中球団2位。三冠王3回で、その間に首位打者5回、本塁打王、打点王各3回。最多安打1回。「ミスターロッテ」を落とすのは忍びないが、ベストナインの三塁手は落合博満とする。【遊撃手】水上善雄、小坂誠の一騎打ちか、ともに後年、他球団の飯を食っているが、指導者になって鎌ヶ谷で指導している共通点がある。14年間で1364試合、939安打の水上が9年間で1098試合、986安打の小坂を抑えて受賞としたい。小坂には期間中で西村徳文に次ぐ球団2位の265盗塁という記録もあるが、ここは水上善雄を選ぶ。【外野手】内野で三ポジションにまたがった落合と同様に内野(二塁手)から外野に転向した西村は現役時代の通算成績が内野手時代と外野手時代でほぼ同数。ただタイトル(盗塁王、首位打者)の大半を内野手時代に獲得しているので、外野手部門には入れないことにした。また、レロン・リーは外野手としての出場が297試合なのに対してDHとしての出場が979試合なのでDH部門とする。そうなると、1974年日本一の時の日本シリーズMVPの弘田澄男(1121試合、1079安打、244盗塁)、10・19の同点本塁打の印象が強い高沢秀昭(894試合、833安打、首位打者1回)、現役のサブロー(1616試合、1273安打、121本塁打)、新人から二年連続打率三割を記録した横田真之(876試合、723安打)が際立つ。サブローと弘田をまず選び、最後の一人は微差ながら高沢を選ぶ。ベストナインの外野手部門はサブロー、弘田澄男、高沢秀昭とする。【指名打者】ここはレロン・リーで決まりだろう。外国人選手ながら通算打率の規定打数である4000打数を超え、1315試合ながら1579安打、打率.320。打率.320は日本のプロ野球の通算打率第1位に当たる。283本塁打は球団最多に当たる。【監督】最後は監督を選ぶ。1974年から昨年までの監督の通算成績を列挙する。金田正一(~1978年)301勝285敗55分け、勝率.514。優勝、日本一1回、プレーオフ出場2回山内一弘(1979年~1981年)182勝171敗37分け、勝率.516。プレーオフ出場2回山本一義(1982年~1983年)97勝145敗18分け、勝率.401。稲尾和久(1984年~1986年)185勝175敗30分け、勝率.514有藤道世(1987年~1989年)153勝213敗24分け、勝率.418。金田正一(1990年~1991年)100勝134敗6分け、勝率.427。八木沢荘六(1992年~1994年)139勝202敗4分け、勝率.408。ボビー・バレンタイン(1995年)69勝58敗3分け、勝率.543江尻亮(1996年)60勝65敗3分け、勝率.489近藤昭仁(1997年~1998年)118勝147敗5分け、勝率.445山本功児(1999年~2003年)324勝352敗14分け、勝率.479。ボビー・バレンタイン(2004年~2009年)425勝392敗20分け、勝率.520。プレーオフ/CS進出2回、優勝、日本一1回西村徳文(2010年~2012年)191勝213敗28分け、勝率.473。CS進出1回、日本一1回伊東勤(2013年~)74勝68敗2分け、勝率.521。CS進出1回あくまで、のべの計算だが、のべ14人の監督のうち、のべ6人の監督が勝率五割以上なのだから、なんだかんだ成績の安定したチームと言えよう。2009年に日本一になった西村監督はレギュラーシーズンの成績は3位ながら、CSを勝ち抜き、さらには日本シリーズを勝ち抜いての日本一で、リーグ優勝は果たしていない。バレンタイン監督の2005年は当時の規定がプレーオフを勝ち上がったチームが優勝と言うことで優勝はしたが、レギュラーシーズンの勝率は2位。1974年は当時の2シーズン制で後期に優勝し、プレーオフで勝ち上がっての優勝扱いだが、年間の勝率でも1位だった。したがって、期間中三度の日本一を経験しているが、レギュラーシーズンの勝率1位は一度だけ。この期間中にレギュラーシーズン勝率1位が一度しかないのは、球団創立まだ9年のゴールデンイーグルスを別にすれば他にホエールズ~ベイスターズの一球団だけである。また、対象期間中の日本シリーズ出場、優勝率100%もこの三球団だけ。複数回出場で優勝率100%はオリオンズ~マリーンズだけ。その日本一を経験した金田、バレンタイン、西村の三監督を比較すると、金田も二期の監督成績を合計すると勝率が.489と負け越し。西村も日本一達成の年でも貯金8の年間3位で残り二年間が最下位と5位では通算勝率.473と振るわない。二期合計で494勝450敗23分けで勝率.523のバレンタインが優勢。レギュラーシーズン勝率1位の経験こそ無いが日本一に輝いた2005年の84勝は毎日オリオンズから連なる球団史で年間最多勝。ベストナインの監督部門はボビー・バレンタインを選ぶ。なお、日本一に輝いた三監督以外の監督で最も長くチームを率いたのが五年間率いた山本功児なのだが、山本功は一度もAクラスを経験していない。生え抜きのOBでもなく、よく五年間もクビが繋がったなと当時不思議に思っていたが、調べると、五年とも年間で負け越していながら、借金の最多が10で他四年はいずれも借金が1桁なのだ。最後の2003年は借金1で4位。バレンタイン復帰の動きがなかったらなおも首が繋がっていたかも…。それでは一通り選び終わったところで、敗戦処理。が選ぶマイセレクトベストナインでオーダーを組んでみる。(中)弘田澄男(二)堀幸一(一)福浦和也(三)落合博満(指)レロン・リー(右)サブロー(左)高沢秀昭(捕)里崎智也(遊)水上善雄(投)村田兆治最後に一軍登録と同じ28人を選ぶ。, 【投手】村田兆治、仁科時成、水谷則博、小宮山悟、清水直、小林雅英、藤田宗一、河本育之、成本年秀、薮田安彦、渡辺俊介、倉持明、黒木知宏【捕手】袴田英利、里崎智也【内野手】福浦和也、レオン、堀幸一、今江敏晃、有藤道世、落合博満、初芝清、水上善雄、小坂誠【外野手】サブロー、弘田澄男、レロン・リー、高沢秀昭次回は広島東洋カープ編を予定。【参考文献】・「THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCROPEDIA 第4版」社団法人日本野球機構・「2014ベースボールレコード・ブック」ベースボール・マガジン社・「プロ野球人名事典2003」森岡浩編著、日外アソシエーツ・CD版「野球の記録で話したい Baseball Stats Lounge」 捕手 里崎智也 8(右)長谷川勇也 1936年に発足したプロ野球の長い歴史の中で、各ポジションの歴代最強ベストナインは誰だろう?と気になったので真剣に考察してみました!ベストナイン算出の根拠は選手が残した成績による1点です。では、ポジションごとに発表していきます!投手(ピッチ ファンが選ぶ最強“ホークス”ベストナインは? 柳田、小久保、松中…夢のオーダーが完成. 中堅 柳田悠岐 巨人歴代ベストナインを独自で選出! 打順を組んでみたらやっぱり怖かった… ニュース/コラム 2020.04.02; ファンが選ぶ最強“赤ヘル軍団”は? 黒田、山本、鈴木誠ら広島歴代ベストナイン. 3(二)井口資仁 8(捕)里崎智也 左翼 中村晃 高橋ユニオンズ→トンボユニオンズ→高橋ユニオンズ(1954年~1956年) (大映スターズに吸収合併) ゴールドスター→金星スターズ→大映スターズ→大映ユニオンズ(1946年~1957年) (毎日オリオンズと対等合併) 毎日オリオンズ(1950年~1957年) 毎日大映オリオンズ(1958年~1963年) 東京オリオンズ(1964年~1968年) ロッテオリオンズ(1969年~1991年) 千葉ロッテマリーンズ(1992年~) 先発 斉藤和巳 « 原貢氏、首都大学野球連盟創立50周年の年に逝去 | 1(中)荻野貴司 日本通運「侍ジャパン」応援サイトでもFull-Countスペシャル記事を配信中!. Tweet. トップページ 9(右)サブロー, ファンが選ぶ最強“ホークス”ベストナインは? 柳田、小久保、松中…夢のオーダーが完成, ファンが選ぶ西武の歴代ベストナイン 松坂に清原、秋山幸らの強力打線はまさに常勝軍団, 「日本の野球はしっかりしている」 元U-23代表が頂点を極めた舞台で感じた強み(侍ジャパン応援特設サイトへ). 歴代ベストナイン・最強チーム (16) 読売ジャイアンツ (1) 東京ヤクルトスワローズ (1) 東北楽天ゴールデンイーグルス (1) 中日ドラゴンズ (1) 埼玉西武ライオンズ (1) 横浜DeNAベイスターズ (1) 捕手 城島健司 三塁 初芝清 一塁 福浦和也 ニュース/コラム 2020.04.06 的ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.7 毎月2日、昨年2月にスタートした マイセレクトベストナイン を偶数月に、 敗戦処理。 広尾晃氏・「俺たちの川崎・ロッテオリオンズ」ベースボール・マガジン社, 投稿者 敗戦処理。 日時 2014年6月 2日 (月) 03時39分 マリーンズ, 敗戦処理。的チーム別歴代ベストナイン | 固定リンク 先発 村田兆治 三塁 小久保裕紀 一塁 松中信彦 7(三)初芝清 ロッテですらベストナインで一塁やらしてもらえない落合 18 名無しさん@恐縮です 2020/04/13(月) 20:31:53.69 ID:EQCTtwJp0 落合は中日、巨人だよなぁ。 4(三)小久保裕紀 5(指)デスパイネ ファンが選ぶロッテ歴代ベストナイン 世界一捕手にマサカリ投法、幕張の安打製造機も. 開幕延期で「野球ロス」になっているファンの方々に少しでも心の隙間を埋めていただきたく、Full-Count編集部では各球団の“夢のベストナイン”選考をツイッターで実施し、結果を公開している。, 開幕延期で「野球ロス」になっているファンの方々に少しでも心の隙間を埋めていただきたく、Full-Count編集部では各球団の“夢のベストナイン”選考をツイッターで実施し、結果を公開している。読者層やフォロワーの年齢層によって、票の集計偏りが出てしまうため、賛否両論があることは受け止めている。ロッテのベストナイン投票もファンを楽しませたいと企画させていただいたが、川崎球場を彩った球団の顔や、タイトルホルダーが“選ばれず”寂しい思いをしてしまったかもしれない。そんなファンの方々と懐かしの記憶を共有したく「選びたかった名選手」を紹介したい。, 【PR】スランプ時には映像で確認 “広角打法”篠塚和典氏が語るDAZN(ダゾーン)活用法, まずは三塁手。投票では初芝清氏が37%、今江敏晃氏が30%。ミスター・オリオンズこと、有藤通世氏が17%という結果に。ツイッター投票であったことや、ロッテファンでない10~20代の読者層の票も多かったとあり、千葉移転前の名プレーヤーたちの存在はイメージしにくかったかもしれないが、やはり、監督まで務めた有藤氏の名前は欠かせない。, 有藤氏はロッテ一筋18年間プレーし、1985年に通算2000安打(合計2057安打)を達成。1972年から4年連続でダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を獲得するなど華麗な守備でもファンを魅了した。1974年、巨人のV9を止めた中日との日本シリーズでは打率4割以上の活躍で日本一に貢献した。77年には打率.329で首位打者を獲得。86年に現役引退するまで、通算成績は2063試合、打率.282、348本塁打、1061打点という成績を残した。87年から89年はロッテの監督を務めるなど、球団史には欠かせない名選手だ。, 一塁手でノミネートした4名も名高い選手だらけだった。記憶に新しい名球会プレーヤー・福浦和也氏が80%の占有率だったが、伝説の打者、榎本喜八氏も忘れることはできない。まずはプロ野球史上最年少の24歳9か月で通算1000本安打を達成すると、こちらも史上最年少の31歳7か月で2000安打に到達。首位打者を2回獲得した天才打者で「安打製造機」の異名をとった。2016年にはエキスパート表彰で野球殿堂入りを果たしている。他にも山本功児氏、愛甲猛氏と一塁手には強打者たちがいた。, 中堅手部門は荻野貴司外野手が投票で選ばれたが、やはり西村徳文氏(現オリックス監督)もロッテ史に残る外野手だ。1982年に入団から、1989年までは主に二塁を守り、ゴールデングラブ賞も獲得。89年途中から中堅手にコンバートされ、90年には首位打者や外野でもゴールデングラブ賞を獲得。内野と外野でゴールデングラブ賞を受賞する快挙となった。86~89年は盗塁王。ロッテやオリックスの監督として、手腕も高いが、現役時代は俊足巧打に上手い守備、魅惑のプレースタイルで多くのファンに愛された。, 投票の性質上、どうしても平成時代に活躍した選手が多く選ばれてしまったが、他にも野球殿堂入りの別当薫氏や山内一弘氏をはじめ、毎日、大毎時代までさかのぼれば、キリがないほど伝説のプレーヤーばかり。投手では1970年に25勝の右腕・成田文男氏、1971年に24勝を挙げ、2年連続20勝をマークした木樽正明氏、その成田氏や木樽氏のボールを受け、NPBタイ記録の4打席連続本塁打を放った捕手・醍醐猛夫氏。日本シリーズMVPにもなった小さな大打者・弘田澄男氏ら、往年の名選手が球史に名を刻んだ。, 外国人選手もバリバリのメジャーリーガーとしてやってきた外野手、ジョージ・アルトマン氏に、レオン・リー氏、捕手も内野外野も、乱闘もやったマイク・ディアズ氏らはファンの記憶には残っている。これを読み返しながら、川崎球場の記憶もよみがえってきたり……。名選手たちが存在していたことはファンの思い出、青春でもあり、忘れはしないだろう。野球の開幕が遠のいているが、少しでも話題の“ネタ”になってもらえればうれしい。, 【夢のベストナイン】

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