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角兵衛と右近が直接対決!!その結果は…!? No Reproduction or publication without written permission. Copyright 2020 Asahi Shimbun Publications Inc. All rights reserved. 今回の人質殺害事件の真相や経緯の詳細は、今後の調査や検証を待たねばならない。しかし、事件の最終報告を待つまでもなく、テロ事件が続発する国際社会の中で、日本が抱える課題や問題点が浮き彫りになった。 人質殺害事件の経緯は以下の通りだ。 まず、日本政府の対応だが、自国民の生命を守ることに最善を尽くしながらも、結果として人質殺害に至った経緯の中で、国際社会の「テロに屈しない」「テロ組織とは交渉し … 反体制派の戦闘員たちを怖いと感じたことは一度もない。彼らはジャーナリストたちに非常に親切だった。そのころ出会った彼らは大半が世俗的� 「イスラム国は西側諸国への攻撃を開始する」元イギリス秘密情報部のテロ防止対策部長が警告, 映画『鬼滅の刃』国内の歴代興行収入5位に。公開24日で『ハリポタ』1作目超える【ランキング一覧】, パジャマで路上をダッシュ。バイデン大統領誕生に、ジェニファー・ローレンスが「イエーーーイ!!!」と大歓喜(動画). 続きを読む, 【イスラム国】ジャーナリスト殺害が疑われるイギリス人ラッパーの素性が判明(動画・画像). 反体制派の戦闘員たちを怖いと感じたことは一度もない。彼らはジャーナリストたちに非常に親切だった。そのころ出会った彼らは大半が世俗的� 理想を掲げながら、テロ集団に堕落した「イスラム国」。その恐ろしさを、現地で体感したジャーナリストがいる。 中東での取材経験があるフォトジャーナリスト、八尋伸さんはイスラム国に身柄を売り渡される寸前のところで助かった経験を持つ。 八尋さんは13年9月、シリア北部のアトメという町で別の武装勢力を取材した。その後、取材のコーディネートを依頼した地元有力者の携帯電話に突然、イスラム国の現地司令官から「来い」と連絡があった。案内された場所で車を降りると、ピックアップトラックの上で機関銃を構え、覆面をした複数の男たちの鋭い眼光にさらされた。 部屋には司令官のほか、戦闘員と思われる屈強な男たちが6人。司令官が「Tell them(彼らに伝えろ)」と言うと、刃渡り20センチほどのナイフを懐に差した戦闘員が、八尋さんたちにシリア入国の目的を問いただした。 尋問約1時間。八尋さんたちは「スパイではないかと疑われていた」。嫌疑は晴れたようで、八尋さんたちは司令官と握手をして別れた。ただ、ずっと押し黙っていた司令官は最後に、同席していた通訳にアラビア語で話しかけた。「建物から出た後に通訳に聞くと、私たちを『2千ドルで売ってくれ』というやりとりだった。それを聞いて血の気が引いた。コーディネーターが地元の有力者だったので、要求をはねつけることができた」(八尋さん)※AERA 2015年2月9日号より抜粋. イラクの過激派組織「イスラム国」(IS)はアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏を「処刑」し、その動画を公開したが、この殺害を行った人物として最も疑われているのは、ロンドン西部出身の元ラッパー(24歳)の男性だ。 イスラム過激派組織「イスラム国」に首を切断されて殺害された日本人ジャーナリスト・後藤健二さん。今回は後藤健二さんの生い立ちや経歴をはじめ、嫁・城後倫子さんや子供。母・石堂順子の奇行、義理の父の逮捕、兄弟などの家族情報などについてをまとめました。 中東での取材経験があるフォトジャーナリスト、八尋伸さんはイスラム国に身柄を売り渡される寸前のところで助かった経験を持つ。 八尋さんは13年9月、シリア北部のアトメという町で別の武装勢力を取 … 一方、前田利長は家康の元に部下を差... 二人の時間を大切に過ごすイサさんとタキさん。しかし、イサさんの様子が急変して…... ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。 2015年2月1日早朝、安倍首相を強く非難する「イスラム国」の声明とともに、「イスラム国」の人質となっていた後藤健二さんが殺害されたとみられる映像が、インターネット上に公開されました。これを … 【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。, 死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。, 彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって掌握し、「カリフ制国家」を宣言し、短期間のうちに世界中から多くの戦闘員を集めて一帯を席巻した。全盛期には、英国と同じくらいの広さと数百万の人々を支配下に置いた。, 今、その残党が砂漠に並んで座らされている。その横のキャンプには、全身黒ずくめの妻や子どもたち、そして彼らの最後の拠点となったシリア東部の村、バグズ(Baghouz)で保護された民間人らが身を寄せている。, この「結末」を取材しながら、私の心には数々の思いがよぎった。シリアの民衆蜂起を取材するようになったのは、それが始まってから1年後だ。だから私はこの出来事に、ほぼ最初から立ち会ってきたことになる。, 数々の記憶、感情、そして悲惨さを目の当たりにした。そして非常に多くのことを学んだ。, 私が最初に取材したのは、2012年2月。シリア北西部イドリブ(Idlib)県の県都イドリブ市で起きた民衆蜂起だった。紛争地域の取材はこれが初めてだった。その1年前に首都ダマスカスで始まった平和的な抗議デモは、治安部隊によって容赦なく鎮圧され、結果的に反体制派組織「自由シリア軍(FSA)」の創設につながった。シリア全域で反体制派がゲリラ攻撃を行い、政権軍は至る所で彼らに降伏した。私がイドリブに到着したころには、同県の一部と同市の大半は、反体制派が掌握していた。政権軍の狙撃兵らが時々市内を攻撃したが、大規模な軍事作戦はなかった。, 抗議デモの始まりは、他の多くのデモと変わらなかった。人々が街の中心部に集まり、民主化運動「アラブの春(Arab Spring)」による革命が起きたエジプトやリビアの大きな旗が掲げられていた。民衆はスローガンを叫んでいた。, その時突然、パチンパチンパチンと狙撃音が聞こえた。人々は右往左往し、砲撃が始まると一目散に逃げ去った。, こうした出来事に立ち会ったのは、その時が初めてだった。平和的な抗議デモが一瞬にして攻撃された。とても怖かった。皆があちこちで走り回っていた。私も一緒に走った。どこに行けばいいのか分からなかったので、ただ後をついて行った。砲弾はまさに雨のように降ってきた。私は市民数人と一緒に避難した。, 目の前では10代の若者が倒れていた。誰かが、彼は15歳だと教えてくれた。どうしてこんなことが起こるのか、と心の中で思った。どうして自国民を攻撃などできるのか。砲撃は激しく、辺りに濃い煙が漂っていた。まるで黒い毛布で街が覆われたようだった。, それから数か月間、私はシリアに何度も出入りした。反体制派の戦闘員たちを怖いと感じたことは一度もない。彼らはジャーナリストたちに非常に親切だった。そのころ出会った彼らは大半が世俗的だった。「われわれは自由のために戦っている」。彼らは私にそう話した。, その後、反体制派の中にイスラム武装勢力の戦闘員らが姿を現すようになった。だが最初のうちは特に問題はなかった。2012年8月、私は彼らのキャンプの一つを訪ねたが、友好的だった。キャンプ内での写真撮影は許可されたし、脅されるようなこともなかった。, 間もなくして変化が生じ始めた。村々で外国人の姿を見かけるようになった。フランス語を話す者もいれば、米国人もいた。何かが変わり始めたと感じた。ある朝、銃を携行しながらジョギングをしている男たちを目にした。その光景が私の心に強い印象を残した。何かが変わりつつある、彼らは何かを始めようとしている、と思った。, 直後に、シリアにはもう入国できない、と告げられた。ジャーナリストにとって危険過ぎるというのだ。しばらくすると、シリアでジャーナリストたちが誘拐されるようになった。行方が分からなくなった記者の中に、友人のジェームズ・フォーリー(James Foley)氏もいた。数か月前に国境で出会ったばかりの彼が誘拐されたなんて、信じられなかった。2012年11月だった。後に私たちは、彼が地元のギャングに連れ去られ、最終的にダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)に引き渡されたことを知る。このイスラム武装勢力は、ISILやISIS、イスラム国、ISなどさまざまな名称で呼ばれているが、私の心の中ではアラビア語名の略称、ダーイシュが最もしっくりくる。, それから数週間もたたないうちに、トルコ人の友人であるブンヤミン・アイギュン(Bunyamin Aygun)氏が、最後の記事を書くためにシリアに渡航すると言い出した。「頭がおかしいんじゃないのか」と私は言った。「危険過ぎる。何人も誘拐されているじゃないか」。私は彼に行かないでくれと懇願したが、彼は気を付けるからと請け合った。「この記事だけだから」と言って。だが彼はシリアへ入国した直後に誘拐されてしまった。1月初旬、彼はトルコの情報機関によって、約40日ぶりに救出された。, シリアではその頃までに約30人のジャーナリストが、イスラム武装勢力によって拉致あるいは拘束されたと推測されていた。数か月のうちに一部は解放されたが、2014年8月19日、あの事件が起きた。私は真夜中に目を覚まし、調べ物をするためにインターネットに接続した。それが何だったかさえ覚えていない。だが何かを読んだ瞬間、私は恐怖で凍り付いた。ダーイシュが、ジェームズ・フォーリー氏を斬首する様子を撮影した動画を投稿したとあった。背筋に戦慄(せんりつ)が走った。そんなことはあり得ない。私は何度もそう思った。もしかしたら自分だったかもしれない─―。シリアにいたことのあるジャーナリスト全員が同じ思いにとらわれたことを、私は後で知った。私はその動画を見ることができなかった。友人ジェームズの思い出は、彼らしい姿で記憶にとどめておきたかった。, 数年間はシリアに戻れないだろうと、私は当時、確信していた。2012年に出会った人々から口々に、シリア反体制派の支配地域に急速に過激派が押し寄せていて、映画『マッドマックス(Mad Max)』のような状況になりつつあると警告されたことを思い出した。近いうちにイスラム過激派がやって来て支配するだろうと言われたが、私は信じなかった。だが彼らの言ったことは、正しかったのだ。, 私は、2012年8月にシリア北部アレッポ(Aleppo)で出会ったある男のことを思い出した。政権軍の砲撃が激しかったため、私たちは戦闘員や救急隊員らとともにモスクの地下で眠っていた。そこにそのとりわけ不快なイスラム戦闘員がいた。彼はよくエアコンの隣に陣取り、コーランを読んでいた。隣り合わせで二晩、眠ったことがあったが、何度も私を押しては毛布をくれとせがんだ。彼はオランダ出身のイラク人だった。私は彼の写真を撮影した。その後、彼が残忍なダーイシュの写真に写っているのを目にするようになった(最もおぞましい写真では、彼は切断された頭部を突き刺したフェンスの前に立っていた)。, 彼の名はハレド・フダリム(Khaled Khudarhim)だということが分かった。彼はISの処刑人として有名になっていた。いつだったか、彼は私の友人に電話をかけてきて、2012年8月に私が撮影した写真のことで文句を言ったという。その写真のせいでオランダ当局が警戒し、帰国できないと言ったそうだ。彼は2016年に殺害されたと考えられている。だが私の知る限り、それは確認されたことがない。, その後の仕事は、内戦によってシリアから逃れた難民の取材が中心となった。シリア内戦は、第2次世界大戦(World War II)以来、最大級の人口移動を引き起こした。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると現時点で、約620万人のシリア人が国内避難を余儀なくされており、また560万人が難民として中東地域一帯に散っている。, トルコとの国境地帯でクルド人部隊がISと戦っていた時、避難民たちが国境沿いのフェンスに開いた小さな穴に子どもたちを押し込み、通り抜けさせようとしているところを撮影した写真もある。, アレッポに対するロシア軍とシリア政権軍の攻撃から逃れるために再び国境地帯に押し寄せた避難民たちの写真も撮影した。ギリシャと北マケドニアの国境付近で野宿していたときの、さらに絶望に打ちひしがれた彼らや、恐ろしい海を渡ってギリシャ・レスボス(Lesbos)島にたどり着き、ボートからはい出てきた瞬間の彼らも撮影した。国境の村々がISの支配から解放され、シリアに戻って行く彼らの姿も撮影した。, シリアの人々が逃げては移動していた数年の間に、私は恐れや絶望、希望、諦め、疲れ、恐怖など、人間の持つさまざまな感情を写真に残した。だが最も強い印象を受けたのはおそらく、レスボス島に到着した時の難民たちだろう。彼らの多くは一度として海を見たことさえなかったのに、小さなボートで何キロもそこを渡って来たのだ。陸に降り立った時の彼らの顔は、まるで生まれ変わったかのようだった。, 彼らの中には高齢者も大勢いた。そのことにも非常に衝撃を受けた。70歳や80歳になって自宅を追われ、言葉も何も分からない国で暮らさなければならないことを、自分の身に置き換えて想像してみてほしい。, 何年も取材を続けた後、私はその「結末」に立ち会おうと心に決めた。それは今年の2月から3月にかけて、イラク国境付近を流れるユーフラテス(Euphrates)川沿いのシリアの村、バグズで訪れた。米国が支援するクルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」がバグズ郊外に、民間人およびダーイシュの女性や子どものための避難キャンプを設営した。彼らはそこへ行く前に、10~15キロ手前の検査施設に連れて行かれた。, AFP取材班はそこで何が起きているかを記録に残すため、施設に立ち入らせてほしいとSDFに何日も掛け合った。彼らは最終的に態度を軟化させた。, 目の前に座った男たちの列を見渡しながら、私は彼らが属していたとみられる組織がここ数年間に行ったことを考えた。ダーイシュ戦闘員は、世界で最も腕の立つ殺し屋に数えられた。彼らは、ジャーナリストや一般人など大勢の人々を殺した。レイプや拷問、斬首といったとても恐ろしいこともした。トルコの首都アンカラやイスタンブールで彼らが行った攻撃の映像が頭をよぎった。, そして今、彼らは私の目の前でひざまずいていた。その数およそ数百人。もしどこかで彼らに捕らえられていたら、そのうちの何人が私を殺したり、拷問したりしただろうかと考えた。彼らの目つきや私の感覚から推測すると、かなりの数に上ると思えた。, だが同時に、彼らはすでに降伏していた。そのため、他の人々と同じように権利があった。一部のジャーナリストたちは、彼らに質問し、返事がないと何度もしつこく質問を繰り返した。私はそういうことは嫌いだった。もし話したくないのなら、強要すべきではない。彼らは今でも人間であることに変わりないのだから。私も大勢の男たちに質問した。だが答えてくれなかったので、放っておいた。, 彼らの一部を見ただけなら、カリフ制国家は崩壊したと感じるかもしれない。だが他の大多数に関しては、まったく違う感情を抱くだろう。全身を黒い布で覆った数千人の女性たち。彼女たちはまるで「黒い部隊」のようだ。, 彼女たちの多くは、ISが行ったことを心から支持しており、カリフ制国家を誇りに思っている。時々、私に話し掛けてくる女性もいたが、別の女性からなぜ敵に話し掛けるのかと言われていた。, 多くの戦闘員も同じだった。彼らは自分たちがしたことを誇りに思っていた。だから私には、彼らが敗北したのか、あるいは何か他のことを準備しているだけなのかわからなかった。彼らの中に金髪の男がいた。彼は話そうとせず、ただほほ笑みを浮かべていた。私は、なぜほほ笑んでいるのかと尋ねた。だが彼はその質問にも答えず、相変わらずほほ笑んでいるだけだった。彼は自分がまだ生きていることがうれしかったのだろうか。だが本当のことはわからない。, そこでは、8歳~14歳までの12人ほどのグループにも会った。彼らを見ると胸が痛んだ。彼らがどんな目に遭ったかは計り知れない。戦いや殺人を強要されたのだろうか? 少年たちは、自宅に帰されることになっていた。彼らの前にはどんな現実が待ち受けていることだろう? 耐え難いものであることは間違いない。, トルコに帰国後、砂漠で座らされていたダーイシュ戦闘員らの画像が頭から離れなかった。資料を調べたところ、私が撮影した写真が第2次世界大戦で降伏したドイツ兵の写真と酷似していることに衝撃を受けた。まるで同じ写真のようだった。, 過激な思想は、自然災害に似ている。いったん始まったら、止めることはできない。私はそれがどのようにしてシリアで始まり、その後どのように変化していったかを見つめてきた。過激主義は、どんな場所でも起こり得るものだ。, 外国人戦闘員は、非常に興味深かった。フランス人やアゼルバイジャン人、ロシア人など、いろいろな国の人々に出会った。彼らがなぜこんなことをするのか、私にはまったく理解できない。彼らの精神構造を理解することは不可能だ。なぜ教育を受けたフランス人が彼らに加わるのだろう。私にはとても奇妙に思えるし、とうてい理解できない。, 正直に言って、私にはこれで終わりだという確信が持てない。私が見たものから推測すると、組織はまだ存続しており、今も機能している。彼らは復活のチャンスを待つつもりなのだろう。, 彼らは、北部コバニ(Kobane)を含むシリア各地をはじめ、トルコのアンカラやイスタンブール、仏パリなど、世界中で多くの悪事を働いてきた。お前たちは悪いことをたくさんしてきたんだ。中東だけでなく、欧州でも―─。私は彼らを見ながらそう思った。, 彼らは復活を目指し、どこかに付け入る隙がないかと探すことだろう。それはリビアやエジプトかもしれない。彼らにとって可能な場所ならどこでもあり得る。この地域だって例外ではない。住民の一部は今も彼らを支持していると私は確信している。もし住民たちが支援してくれると分かれば、彼らは戻ってくるかもしれない。, シリア内戦から私が学んだことがあるとすれば、それはこういうことだ。その時々の状況について拙速な判断をすべきでない、と。考えは変わる。物事は変わる。これからは、状況がどうなるかについて私がすぐに判断することはないだろう。なぜなら私は今、いかに多くの物事が変化し、しかもそのスピードがいかに速いかということを知っているからだ。何かがうまくいくかどうかはわからない。8年前、私たちは、すべてがこんな風に終わるとは予想もしなかったはずだ。, このコラムは、AFPトルコ・イスタンブール支局のビュレント・クルチ(Bulent Kilic)チーフカメラマンが、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者とともに執筆し、2019年4月11日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。, AFPBB Newsに掲載している写真・見出し・記事の無断使用を禁じます。 © AFPBB News, クルド人主体の部隊によるIS掃討後のラッカの町。建物が激しく損傷している(2017年10月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, IS最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、シリア民主軍(SDF)による尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, シリア北部イドリブで金曜礼拝の後に行われた政権に対する抗議デモ(2012年2月17日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, イドリブに集まった反政府武装勢力「自由シリア軍(FSA)」(2012年2月16日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, シリア・アレッポ近郊で訓練を行うイスラム聖戦グループ「ハムザ・アブドゥルムッタリブ」のメンバー(2012年7月19日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, トルコ・イスタンブールの空港で友人や親族らに出迎えられるトルコ人報道カメラマンのブンヤミン・アイギュン氏(中央、2014年1月6日撮影)。(c)AFP / Milliyet Daily/Ozan Guzelce, 対シリア国境に近いトルコ・ウルファで取材を行うトルコ人報道カメラマンのブンヤミン・アイギュン氏(2012年11月11日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, リビア・シルトの空港の一室で休息をとる米国人フリーランスジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏(2011年9月29日撮影)。(c)AFP / Aris Messinis, シリア・アレッポの戦闘を逃れ、北部アザーズ近郊バブアルサラマにある対トルコ国境検問所に到着した避難民(2016年2月5日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, シリア内戦を逃れ、国境のフェンスを越えてトルコに不法入国する避難民。トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレにある国境検問所付近にて(2015年6月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, シリア内戦を逃れ、国境のフェンス越しに子どもをトルコに不法入国させる避難民の男性。トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレにある国境検問所付近にて(2015年6月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, エーゲ海を渡ってトルコからギリシャ・レスボス島に到着したばかりの難民たち(2015年11月24日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, エーゲ海を渡ってトルコからギリシャ・レスボス島に到着した高齢の難民女性(2015年11月26日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, シリア北東部ハサカ県のホル難民キャンプに身を寄せるベール姿の女性(2019年2月17日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, トルコ南部スルチで起きたISによるとみられる自爆攻撃で息子を失い、葬儀で泣き崩れる母親。トルコ南東部ガジアンテプ県にて。この自爆攻撃では、少なくとも31人が犠牲となった(2015年7月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域に向かって歩く男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズから避難し、SDF管理区域で食料の配給を待つ一般市民(2019年3月5日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域に向かう途中でAFPの取材に応じた仏系チュニジア人の21歳の女性。2014年にカリフ制国家への参加を決めた彼女は、取材時もニカブの着用義務を守っていた(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月27日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, ISによって拘束されたヤジディー教徒とみられる子どもたち。シリア・デリゾール県のSDF管理区域にて(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, 第2次世界大戦中、オランダ人兵士の監視下に置かれたドイツ人捕虜(撮影日不明)。(c)AFP, IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, シリア北部ラッカのアルナジム広場近くの通りを歩く男性(2019年2月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic, 仏パリのレピュブリック広場近くで爆発音や銃声を聞き、逃げ惑う人々。ISが犯行声明を出したこの同時襲撃事件では、バタクラン劇場の観客を含む約130人が犠牲となった(2015年11月13日撮影)。(c)AFP, IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域で座り込む女性や子どもたち(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic. 詳しくは[ABJマーク]または[電子出版制作・流通協議会]で検索してください. 【2月1日 AFP】イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が映像を通じて殺害したと発表した日本人人質の後藤健二(Kenji Goto)さん(47)と湯川遥菜(Haruna Yukawa)さん(42)は知人同士で、中東で行動を共にしたことが少なくとも1度あった。後藤さんは昨年、イスラム国に拘束されたとみられる湯川さんを救いたいとしてシリアに渡航し、自身も人質となった。2人がたどったそれぞれの道のりを振り返る。, 後藤さんはフリージャーナリストで、1996年に都内で映像通信社インデペンデント・プレス(Independent Press)を設立し、中東などの記録映像をNHKなどの放送局に提供していた。同社のウェブサイトによると、後藤さんは1967年、宮城県仙台市生まれ。, NHKの報道によると、後藤さんは昨年10月下旬、家族に日本へ帰国する意向を伝えた後で消息を絶った。フジテレビ(Fuji Television Network)によると、昨年11月初旬にイスラム国のメンバーを名乗る人物から後藤さんの妻に対し、約10億円の身代金を要求するメールが送信された。この脅迫メールは後日、米国人記者ジェームズ・フォーリー(James Foley)氏の殺害に関与した人物が送信したことが確認されたという。, 後藤さんはシリアに入国した頃、身分証明書とパスポートを手に持って自身の映像を撮影し、危険を承知していることを説明。「何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか日本の皆さんも、シリアの人たちに何も責任を負わせないでください。よろしくお願いします。必ず生きて戻りますけどね」と述べていた。, AFPBB Newsに掲載している写真・見出し・記事の無断使用を禁じます。 © AFPBB News. 過激派組織「イスラム国」系のウェブサイトで公開された動画から取った、日本人人質の後藤健二さん(左)と湯川遥菜さん(右)の画像(2015年1月20日公開)。 Copyright © 2020 , HuffPost Japan, Ltd. All Rights Reserved. アクセス情報について | 個人情報 | 著作権 | 会社案内 | 朝日新聞出版 | ソノラマプラス | 朝日新聞デジタル | 広告掲載について | お問い合わせ PCR検査拡充の慎重論に「偽陽性1%に根拠なし」「感染の4割以上は無症状者から」 ... キンプリ高橋海人「アイドルは誰かを幸せにしてこそ満たされる」 “寂しい期間”経... SixTONESが週刊朝日に登場!表紙&観音グラビア&インタビュー一挙10ページ!, 「現代ホスト界の帝王」ローランドさんがAERAの巻頭に登場「逆境マネジメント」を語る, 【12/4(金)開催】『AERA』働く女性応援イベント「頑張りたい」と「頑張り過ぎ」のハザマで, ≪主催≫クレヨンハウス 武田砂鉄氏トークイベント 「振り返りながら考える わたしたちのこれから」, 【主催/JPIC ONLINE】内田樹×岩田健太郎『コロナと生きる』刊行記念対談イベント, 『中学受験2021 時事ニュース 完全版』阿部亮平さん(Snow Man)が巻頭インタビューに登場!, ≪主催≫代官山 蔦屋書店 『コロナ危機の社会学』刊行記念 西田亮介×安田洋佑トークイベント, 「科学漫画サバイバル」シリーズ累計1000万部突破! シリーズ初のアニメ映画DVDの発売も発表. イラクの過激派組織「イスラム国」(IS)はアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏を「処刑」し、その動画を公開したが、この殺害を行った人物として最も疑われているのは、ロンドン西部出身の元ラッパー(24歳)の男性だ。, アブデル=マジェド・アブデル・バリー氏は、過去にはBBCのラジオ番組「BBC Radio 1」で自身の曲が放送されたことがあるラッパーだったが、過激な言動で物議を醸してきたイスラム聖職者のアンジェム・チョウダリー氏(日本語版記事)とつながりのある人物たちとの活動を経て、過激化したとされている。, アメリカに駐在しているイギリス大使であるピーター・ウェストマコット卿は、NBC Newsの「Meet The Press」で次のように述べている。「現時点では、犯人が誰であるかを正確に言える段階ではないが、その段階に近づいてはいると思う」。さらに、「殺害を実行した人物の特定には『洗練された』音声認識装置が使用されている」という。, バリー氏は、シリアでISとともに戦うために、ロンドンの高級住宅地マイダ・ベール地区の実家を去った(100万ポンド[約1億7200万円]と見積もられる豪邸だ)。今年8月には、切断した敵の頭部を掲げた自身の姿を写した写真をネット上に投稿してTwitterアカウントを閉鎖されてもいた。, ロンドンを去り、砂漠で殺人者となったと思われるこの青年について、我々が把握していることを以下にまとめてみた。, 彼はもともとは、ラジオ番組「BBC Radio 1」で曲が放送されたこともある、活動的なラッパー「L Jinny」だった。, 彼の音声(上の動画など)は、保安局によって精密に分析され、ジェームズ・フォーリー氏の殺害映像に収められているロンドン南部訛りの声と比較された。, 「彼はしばらく前に、『私の(音楽)ビデオはすべて削除してほしい。今の私はこれらすべてを拒絶している』とツイートしていた」という。ロンドン在住の研究者で、バリー氏のツイッター・アカウントを過去1年フォローしていたラファエロ・パントゥッチ氏が、「Evening Standard」の記事で述べた情報だ。, 彼の一家は、ロンドンの高級住宅地マイダ・ベールにある100万ポンド相当の家に暮らしていた。, マイダ・ベールのランドルフ街道沿いに立つ彼の実家は、ロンドンのカウンシル(自治体)が所有する物件だが、彼はそこで兄弟と一緒に母親に育てられた。, 彼は、切断された頭部と一緒にポーズを取った写真に、「同郷の仲間(の遺体)との『ツーショット』」とキャプションを付けてツイッターに投稿した。, シリアで戦うためにロンドンを去った後、彼は定期的にソーシャルメディアの更新を行っていたが、切断された頭部との「ツーショット写真」を投稿したため、ツイッターへのログインを8月中旬に禁止された。多くの人々は、この写真においてバリー氏が、左手で頭部をつかんでいた点を指摘していた。ジェームズ・フォーリー氏を斬首した映像において、処刑した「ジハーディー(イスラム戦士)・ジョン」がナイフを手にしていたのも左手だったからだ。, 私とアブ・フセインはFSA/IFに誘拐され暴行を受けた。AK47(自動小銃)や7ミリ銃、クルマ、電話や現金も盗まれた, ISは過去に、自由シリア軍の中の比較的穏健な反アサド派の軍隊と武力衝突したことがある。, バリー氏は、国際テロ組織「アルカイダ」とつながりを持ち、テロ行為の罪で起訴され、現在ニューヨークで勾留されている過激派のアデル・アブデル・バリー容疑者の息子だ。アデル・アブデル・バリー容疑者は、1998年にケニアとタンザニアで起きたアメリカ大使館爆破事件に関与していた疑いをもたれている。, バリー氏のツイッターアカウントは、これまで何回もアクセスを禁止されてきたが、大量の武器と一緒に写る自身の写真を投稿したこともあった。, 彼の母親は、子供が学校で受ける「悪影響」を心配し、子供をほとんど学校に通わせず、自宅で勉強させていた, バリー氏の母親のラガさんは、「Guardian」のインタビュー記事で、「夫がアメリカへ引き渡され、裁判で戦っていたため、ロンドンの家では私ひとりで子供たちを育てなければなりませんでした」と、述べている。, 父親が勾留されたため、一家は国からの給付金だけで生活しなければならなかったという。インタビューを行ったヴィクトリア・ブリッタン氏は次のように述べている。「母親は、バリー氏の年上の兄弟たちから、アパートの外のロンドンの様子について話を聞くようになった。外の世界では、ドラッグや暴力、刃物を使った犯罪、学校の無断欠席などの問題が起きているのだという。それを聞いて不安になった母親は、子供をなるべく学校へ行かせないようにし、自宅で一般中等教育修了証試験の勉強を教えた」, バリー氏は、別の2人のラッパーとともに、政治的主張を目的としたハッキング活動を行うハッカー集団であるアノニマスの支持を表明する賛美歌を、セント・ポール大聖堂の前での映像とともに収録した。, ハフィントンポスト日本版はTwitterでも情報発信しています。@HuffPostJapan をフォロー, 選りすぐりのニュースやブログをお届けします(広告などが掲載される場合もございます)

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